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旧ユーゴ

 タクティクスオウガのプレステ版が発売されたのは1997年ですが、最初になるSFC版は95年に発売されました。発売されたとき世界は東ヨーロッパは民主化運動の中での混乱の時期で、さらに旧ユーゴではカリスマであるチトーの死後ばらばらになってしまった国家が結果的に分裂を繰り返すという状態になってきました。ユーゴから独立をしたいクロアチアなどの国と、それを許さないセルビアの国が衝突を開始してきて、そこにアメリカやNATOが余計な口出しをしてきたことから戦火が一気に拡大してしまいました。タクティクスオウガのスタートの状況はまさにそれで、置き換えがある程度想像でもできるようになっています。ここではそのユーゴの歴史について語っていきたいと思います。
 旧ユーゴスラビアは元々は6つの国が合わさった国です。良く例えられる言葉にひとつの国家、二つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つの主要民族、6つの共和国、7つの隣国に8つの少数民族を抱える。と言われてきました。今の国際常識であればこの状況であれば確実に民族問題が拭きですのですが、国が作られた当時はそんなことを言ってられる状態ではありませんでした。建国する数年前まで第2次世界大戦が行われていて、共産主義のパルチザンがナチスドイツを相手に戦っていました。そのドイツが降伏をし、支配権が確立してできたのがユーゴスラビアです。本来ならこの数年後にはばらばらになるかもしれなかったのですが、パルチザン以来ユーゴの政治を観てきたチトーが大統領に就任したことにより国が大きくまとまったことがユーゴの長時間の安定をもたらすことになります。
 このチトーという政治家がとにかく誰が相手でも惹かず、史上最悪の独裁者のひとりとされるスターリンを相手にしても一歩も引きませんでした。こういう話があります。どうしてもチトーを亡き者にしたいスターリンは刺客を送り込みます。しかしそれは失敗。懲りずにスターリンはなんども刺客を送るものの、チトーは自国の秘密警察を使いそれを排除。さらにスターリンに対しては「刺客を送る用意がある」と言い放ち、最終的にはスターリンはチトー排除を諦めることになります。これはチトーのカリスマを中心にした社会主義改革が成功を収め、さらに周辺の国にも影響が出てきたことに対する、スターリンのおそれが現れています。当初は社会主義を目指していましたが、その体制を維持しながら改革を推し進め、社会主義国でありながら東側諸国というカテゴリーに入れらない国として存在感を増していきました。
 そのチトーが80年に世をさってから色んなことが吹き出します。まずはそれまで抑えられていた民族主義が一気に台頭したこと。上でユーゴの国を表す言葉でもありますが、複数の民族がそれぞれ複数の宗教を持つ国では、イスラエルと同じくこういうことが確実に噴出します。チトーの場合はそれを民族主義を排除する代わりに、体制批判はOKという立場でかわしてきたのですが、死後10年近くも立つ頃にはそれもなくなってきました。さらには東欧の民主化に巻き込まれる形でそれまで国を構成していた各共和国が独立をしだすという状況に。これに盟主であったセルビア共和国が反発をしたのが、大規模な戦争の突入になりました。
 最初は西側に考えの近いスロベニアが10日の戦争を経て独立。さらにもともとセルビアとは民族的に中の悪かったクロアチアが独立を仕様として4年間に渡る凄惨な戦争を繰り広げることになりました。さらにこの翌年にはボスニア・ヘルツェゴビナでも戦争が開始。この戦争の後ユーゴは完全にその役目を終える形で分裂。さらには残った国も独立をし最終的にはユーゴスラビアの名前は地図上から消してしまいました。
 では、なんでこんな悲惨な戦争が起きたかといえば答えは「民族」でしか無いような気がします。歴史的にもユーゴの中心であったセルビアと、クロアチアは対立をしていましたし、戦争を取材した人もその著書で結局自分の身を守る要素の中には民族しかないんだという記述があります。それだけ民族というものは重苦しいもので、今でも世界中にある戦争の種の一つになっています。デニムは途中でそれに気づき無理矢理戦いに投入された時から、人間的に大きな成長を遂げるのですが、それができるのはほんの一部の人間で、結果的に言えばそれが出来なかった人間は民族のしがらみに囚われ続けるような気がします。なにせユーゴ紛争の時には被害者側とされているクロアチアですが、その黒歴史には大量虐殺がありますし、今での大クロアチア主義という同じようなことを考えている的思想が運びっているのを見るとどうも被害者的な考えるをするのはいかがなものだと感じますが。

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