Study abroad
(14年目・留学)
 この年から終了条件追加もう一つ追加。どっかのポジションでもいいから世界ランク1位を排出するというのを追加します。現在三神がGKで8位。岬がDFで8位。FWで野毛が12位。去年までは高杉がMFでランク入りをしていたんだけど、途中からFW転向していたのでランキングには入らず。ただモルセンがランキング外なので、かなり時間がかかるかも。世界的名選手でなれそうなのは現段階でルンゲK位だし。
 さらにもう一つ。12月になるとチームの殿堂入り選手として入ってくる選手がいますがその選手を11人集めることも条件として入れたいと思います。3−4−3のシステムで行くのでGK1人・DF3人・MF4人・FW3人を最低のポジションの人数として集めます。コレばっかしは運が絡むので集まらない可能性がありますので臨機応変に。ちなみに現段階で殿堂入りの選手は三神・岬・新谷の三人です。
 留学のことを話し前に選手の能力について話をしたほうがいいと思います。言葉だけで説明するのはちょっときついので、図を書いて説明したいと思います。

 ある選手のある部分の最高到達点を100とします。この能力がフルに発揮できれば戦力として役に立つのですが、実際のところはその潜在能力が埋もれている上に能力もそれほど高くはない状態でやって来ます。(丸の数は適当です)

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 その潜在能力を練習や試合で引き出してやるのですが、早ければ2年半ぐらいで、遅くとも5年ぐらいである程度のとこ度で頭打ちになります。

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 実は選手能力には2つの壁を設けています。一つはその選手に最初から設定されている素質限界。そしてもう一つがそれよりも一段階ないし2段階低く設定されている仮限界というものです。この仮限界の壁のせいでその選手の能力は100%発揮されることはありません。言葉を変えれば世界的なレベルの選手になれるのに、壁があるせいで国内クラブレギュラークラスにとどまっている。そういう印象でしょうか。この壁をとってやる(図の場合だと●の部分を少なくする)のが留学というシステムです。
 留学地はサッカー先進国からアメリカまでいたるところに多数あります。(2002の世界だとアジアはないけれど)それぞれの場所には特徴がありますし、その結果選択指はたくさんあると思います。しかしおすすめした留学地にはメジャーなクラブというのは少ないです。どちらかと言えばアフリカのクラブだったり、東ヨーロッパのクラブだったり、南米でもブラジル・アルゼンチン以外のクラブだったりします。育成の旨いクラブでさえ外されています。どうしてかというと留学そのものに一つのシステムがあるからです。

 留学地のタイプは大きく分けて3×3の9つにわかれます。限界型・平均型・実能力型の3つと長期型・中期型・短期型の3つ、かけて9つのパターンです。です。限界型というのは成長の仮限界を押し上げるのがメインの留学地で、最終的な能力は攻略本にかかれている能力にかなり近づくことになります。いわゆるビッククラブというのはこの実能力型クラブが多くて、2002では全く使えない状況になってしまっています。(ただし一部例外あり)

 具体的に言えばどれぐらいの差になるのかといえばイメージとして見ると(◯=その選手の能力・●=その選手伸びしろで練習すれば埋まる・■=その選手が本来持っている素質限界のうちキャップがかぶさっている部分で開放されなければ埋まらない)

 留学前 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯●●●●●●■■■■■■■■
 限界型 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯●●●●●●●●●●●●■
 平均型 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯●●●●●●■■■■
 実能力 ◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯●●■■■■■■

 ぐらいの違いになって現れます。なので、選手の限界を伸ばしたいのなら限界型の留学地におくれということになります。それがなければ比較的ノビの良い平均型の留学地。実能力型に送るのは序盤のどうしても戦力補強をしたい時ぐらいしか活用がありません。それかオファー留学が来た時の穴埋めの留学地ぐらいでしょう。04ではオファー留学の知らせがないので、自力で穴埋めを考えなくてはいけませんが、2002の場合は留学が一回しかできないので、どうしても限界型が優先になります。それが無理な状況なら平均型になるわけで、実能力型に関しては2002ではオファー留学以外では出番なしになるわけです。

 で、おすすめの留学地としてあげたのが前に何回も出ている留学地で、最初は留学地の数はありませんし、その効果というのは限定的です。横浜スタートのように特定の年スタートの場合ある程度有利には動きますが、パーフェクトシティーを目指して始めたい渡しの場合はメデジンもボカも入っていません。ので、監督を頻繁に変えることでとりあえず最低限の監督を変えていくことになります。そういう意味では今回は留学地に関しては恵まれていると思います。未だに入ってきていないのはヤウンデぐらいですし、ヤウンデの大用品としてブレーメンがこれ以上にないぐらいいい仕事をしています。ベオグラードがない今キャプテン候補はセンターバックしかいないという事情もあるのですが。これで岬の統率力が成長しているのがいい方向に言っているのが大きいです。

 留学地の追加方法としては幾つかの方法があります。
 共通
 監督による紹介
 都市のレベルアップによる追加


 2002限定
 練習試合か国際試合で一回勝つ(ただしその時の世界ランキング最上位のチームみがその翌年の冒頭に結べる)

 3以降
 選手の紹介
 スポンサーの紹介
 遠征の試合か国際試合で複数回勝利


 なので、実は4のリプレイ記の時にやろうと思えばサンチャゴ加入のために選手を取るという手段も使えましたは予想よりも早くダカールが入っていったために棚上げにしていました。このリプレイの場合はブレーメン→ラゴス→リスボン→アスンシオン→ザグレブの順番で監督交代の部門では都合よく入ってきて、さらに練習試合でポルトが来たことにより、ヤウンデ以外の部分で完全にカバーが可能になるという幸運にも救われる形になりました。あとはヤウンデですが世界ラングが上がりすぎているので、時間がかかるかなあと思います。あとは適当に監督を変えても大丈夫でしょう。ただフラットに能力が伸びてくれるいまのケッセで15年目までは持たせたいと思いますが。
 ここで初期からチームの中心として頑張ってきてくれたトリスタン本村がチームを去る。トリスタンは契約切れで、そして本村はパルマからのオファーを受けての放出。貴重なフリーキッカーを失うことになったのだが、同レベルのフリーキッカーとして新谷がいて、現在鍛えている真っ最中ということと、本村の無留による伸び悩みのある放出。前年度にシステムを変えたこと、これにより陣容と補強方針が大きく変わることになる。

 とりあえずのスタメン+α
 GK 三神
 DF モルセン・岬・森崎
 MF 屋野・新谷・海堂・高杉
 FW ルンゲK・阿見・野毛
 控え 山土巣
 留学中 須並・萩原・星野

 で、三神が今年で30ということで補強方針の優先順位が上がるタカチになったのだが、もっときついのは中盤のサイドの控えがいなくなってしまったこと。代用の山土巣は今年いっぱいは試合に出せないので、けが人すら許されないほど中盤が薄い。センターバックは今年萩原が帰ってくるので、戻り次第森崎と交代。屋野は成長力的に言えば今年が限界でだけど、来年以降は星野がいる。とすれば補強方針はこんなかんじに。

 T、中盤のサイドハーフ。できれば2人
 U、阿見以上の能力を持つポストマン
 V、最低でもGPクラスのゴールキーパー

 が主軸になっててくる。サイドハーフに関しては山土巣を左サイドに持って行くという折衷案もあるが、ストライカー適正SSの山土巣をその位置に持っていくのはルンゲKと同じぐらいもったいないことなので、そのあたりは考えないようにする。そういう意味では去年で出てきた甲斐雅哉の年齢がギリギリ21だったのがくややまれますが……

 そして3月の結果
 那智 16(!!!・*1)・スカル 19(!!)・カロン 17・トゥット 21(浦和)・立浪 28・リベイロ 27(*2)・ゴン・世市川・水城

 那智はFPなので普通は獲得したいんだけど、ポストマンがほしいのにこの状況じゃあどうしようもない(FWは阿見以外は全員ストライカー)のでスルー。もったいないけど、那智はサイドがこなせないのもマイナス要因だし。スカルはやはり連係がネック。カロンはサイドバックなので論外。で、結局3月分はスルー。

 4月分は

 マリウス 22(*3)・立浪 20・透 24(*4)・ラゴス 22・シャニング 28(*5)・ボロン 30・西方 19(*6)

 立浪20は一瞬魅力的に見えるのだが、頭の問題もあるので20だと話しにならなかったりすると言うよりも、前にも言ったけど知力部門が超早熟だとさすがに無理だし、第一立浪を取るとしたらその前の試合は負け試合なのでそこまでしてもとりたくない。マリウスは持続Bなので年令的に言えばぎりぎり範囲内なのだが、同タイプの岬がいて、しかもタイミング的に言えば萩原よりも年上ということ。試合自体も引き分けを要求されるのでスルー。西方はポストマンとしてもそこそこの能力(B)があるのだが、本職はストライカー。しかも那智と同じ理由でこっちも弾かざる負えない。結果的に4月分もスルー。

 そして5月。

 モンテーロ 18(*7)・ポルージャ 18・楢崎 18・伊東テル 27

 何事もなければ佐和・喜山と同レベルの楢崎をこのリプレイ揮発のJのチームからの獲得でしたが、高杉怪我という条件が今のチーム状態じゃ無理なのでもったいないけどスルー。つくづく嫌われているよなあ。で、乱数調整による人材発掘は失敗。楢崎がもったいなかったなあ。
 で、今年は偶数年(*8)なのでヨーロッパカップに参加。最初はスイスのベルン(多分ヤングボーイズ)が相手。前半後半とも安定した闘いで4−0で完勝。しかし2戦目の相手が悪すぎた。ドイツのドルトムント(*9)。日本的に言えば香川と元V川崎のアモルーゾが所属していたチームで、2012年―2013年シーズンではあの死のチャンピョンズリーグの予選をくぐり抜けたチームで実力者揃い。ドルトムントにはドフ(*10)・ジェリー(*11)・マティアス(*12)・それにアモーディオがいたけれど、4―0の圧勝。準決勝のベオグラード線はラビチェビッチをベンチで温存というものすごいことをしたわけでなんだけど1−0の苦戦。決勝戦はスロベニア。しかしいちばんの苦戦はこのチームでリードを奪ったものの後半終了寸前で同点にされ決勝戦へ。PK寸前で何とか決勝ゴールを上げて初優勝。ドルトムント以外の強豪クラブに当たらなかったのが良かったけれど。

 そして補正がかかるとドルトムントよりも数倍強くなるJリーグ。ファーストステージの開幕の川崎戦で負けてしまう。その後は強化した攻撃力が爆発して一気に上位との差を詰めていく。3月の乱数調整による選手発掘には失敗したものの、5−0で勝つ(リーグ戦ではなかなかできない)パターンを発見。続く試合も5点取るものの、ハイペースで飛ばすリッチョなどには追いつけず。スルーをした4月のヴェルディ戦ではクラブ史上初の7点獲得しての圧勝。その後は1―0の勝利が3試合続くものの、この間に首位に立つ。リッチョ戦も無事に切り抜け、名古屋戦も勝利。しかし磐田戦でまたマトゥ(*13)が立ちふさがる。彼のゴールでまた負けてしまったのだが、2位のリッチョも負けて優勝決定。締まらない結果になった。リーグカップは順調に3回戦突破。

 そして中断期間でオリンピックのようなものに高杉・野毛・ルンゲK(前半の下よりも得点を上げるほどの活躍)が代表で戦っている時に、ようやく念願の若い有力新人が新人が現れる。FP。御厨 親典17歳(*14)。海堂以上にウイングに向いているので獲得。コレで欲しいところはポストマンとゴールキーパーだけ。御厨どこのポジションでもできるので、どういうふうに育てればいいのか思案中。一応考えているのはセンターバック兼右ウイングの控え。センターバックの3人もそれなりの年だし萩原のことを考えると控えは欲しいなあと思っての獲得。センターバックを兼ねれる事ができる選手に星野がいるので本当の意味で補強は5年はいらなくなってしまった。7月なので半年分余計にかかってしまうものじっくり育てることが出来るのがいい。ただヤウンデはしばらく取れそうにないのが最大の問題かと。ブレーメンにしても統率力上限は他のメンバーからすれば高くないので、またラゴスという選択肢も考えてはいるんだけど。

 このことで補強方針も変更。
 1、ポストマンの外国籍選手
 2、ゴールキーパー
 3、サイドハーフ1人
 4、森崎
 (4の森崎については機会が来た時に話します)サイドハーフは御厨が来たことで、3人で回せますしいざとなった時にはルンゲK・山土巣が回せるので、サイドハーフの優先順位は下がります。来るのが立浪だったり多古だったりすると笑えない状況になりますので、ポストマンの外国人ですがポストマン自体が国内国外を含めてもあまりいませんので、海外の選手にも活路を求めることになります。できればポストプレーヤー理解Aぐらいの選手(*15)がほしいのですが。

 後半戦は御厨の入団からスタート。さすがに半年分の金銭を払ってまでというのは余程のことがない限りはしたくないので、そのまま進める形に。前半だけで上げた得点は40いままでから比べると得点力は上がっているんだけど、どうも100点を超える気がしないのは気のせいだろうか。セカンドステージの状態は「無敗なのに優勝できないかもチームがあるらしい」状態。ルンゲがここに来て爆発し始めてチーム得点王。10月までに5点差試合もあって好調のように見えるけど、そこまでの成績は11勝1分け、延長勝ち2と言う結果。しかも2位ならまだしもこの段階で3位。しかし上位対決になる磐田・そしてリッチョ戦ではついに負けて3位フィニッシュ。今度の優勝決定戦の相手はリッチョ。本当にリッチョの原田(*16)と磐田のマトゥにはなんだか嫌かイメージしか抱かない。

 11月のワールドウィナーズカップはカイロマルセイユが相手。カイロはあっさりと勝利したが、マルセイユは大苦戦。一度リセットをするはめになり再試合で完勝。これで2月11月のカップ戦は8つ目。あとは南米カップと11月のカップ戦一つでとりあえず目標達成になると思う。リッチョとの決戦はホームの初戦の圧勝が聞いて、逃げ切り成功。チームナンバーワンの主力に成長したルンゲがこの2試合で4得点というのは大きい。ニューイヤーカップは最後の決勝戦の山形戦でPKにまで持ち込まれたものの、なんとか勝利。しかしリーグカップはリッチョの前に敗退。何度もリセットしたけれど原田に5点も決められてしまった時に気持ちがパッカリと折れてしまった。
 来年はひとつの区切りとなる15年目。有力外国籍スカウトスカウトと有力監督が開放されます。とくに四天王と呼ばれる4人の監督はかなり強力です。(理想はジュリオレーノかベネバイラー)これからを考えるとこの有力監督をうまく探せるのかが鍵になります。出てこない場合はケッセで引っ張る予定ですが。
 14年目終了段階
 資金 233億8783万円 (前年から112億222万円の増収
 GP 7人 
 FP 6人 (御厨追加)
 2月・11月カップ戦制覇回数 7回
 ランキング最上位 三神 GK 8位
 殿堂入り選手 三神・岬・新谷

 達成条件
 最小失点

 未達成条件
 グレートクラブカップ制覇
 FGP 15人(後2人)
 最多得点
 資金2000億
 2・11月カップ戦 10回制覇
 殿堂入り選手 11人(3−4−3で)
 選手ランキング 1位

 (*1)架空FP。マンガ「シュート」のチョロこと篠塚を上位互換化したようなタイプの選手。驚異的な足の速さが武器のストライカーで、しかもスタミナもかなりあるので簡単にばてやしない。技能的にいえばシュートとドリブルが抜けた能力を持っているので一見するとウイングにも向いているように思うのだがサイド適性が全くないという弱点も持っている。ので使いどころはシャドーストライカーか、優秀な指令というの優秀なパートナー(ジダンお気に入りのジョルカエフのような関係)という形になると思う。鬼茂系との相性は最高なので、グラーフやミシェルとも理想的なパートナーになれるだろう。ただし3以降だとウイングに完全に移行されている。
 (*2)ローター・マテウスがモデル。ドイツを代表する選手の1人で攻撃的・守備的MFをこなしたが晩年にはその能力を生かしリベロも担当。偉大なる先達であるベッケンバウアーと比べても実績に遜色が無いほどの名選手。ただしプライベートになると話は別で4度の結婚に、数多くの選手のトラブルを創りだすなどこっちの方面でも偉大なるドイツの選手のマイナスの系図をたどる選手の一人になってしまっている。
 選手生活開始当時から気性に何なりとされていてトラブルも多かった選手で、才能は徐々に発揮されていったもののボルシア時代にはタイトルには恵まれなかった。その後バイエルンへ移籍をしてリーグ優勝3回に貢献。その後インテルに移籍をして攻撃的MFの才能をトラパットーニの元で開花。スクデット獲得に貢献。4年間プレーした後にバイエルンに戻り、ブンデスリーガ3回制覇などに貢献をするもの大怪我もしていてそれらによる苦しみの時期もあった。その後アメリカに移籍をして引退。代表でも偉大な選手で在り続け出場試合数150はドイツ代表の中ではトップ。98年ワールドカップでは怪我で離脱をしたザマーの代わりに低迷するドイツ代表の一員としてベスト8にまで進出する。90年ワールドカップでは優勝メンバーの主将でワールドカップ全体を見ても出場試合数は最多の25。これだけの実績を持つのなら監督として引っ張りだこなんだろうなあと思うのだが、彼の持ち前の性格の問題もありドイツ国内では評価されていない。幾つかのチームや代表監督にはなっているものの、最終的には協会と衝突して自らやめてしまうことが多いく、典型的な「名選手名監督にあらず」を体現してしまっている。
 (*3)架空選手で初期マイナーズと並ぶ国内有力マイナーズの1人。ボランチとしてかなりの能力があり晩成Bなのでかなりの活躍が見込める。
 (*4)モンテイロがモデル。ウルグアイを代表するセンターバックでユベントスに所属していたこともあるが、このときにセリエA最多退場記録を作ってしまった。それでもユベントスのスクデット獲得に多数貢献するが、ファビオ・カンナヴァーロの入団で出番を失ってしまう。故郷のクラブに戻って引退。
 (*5)バット・ジェニングスがモデル。北アイルランドと70年代、80年代のイングランドをを代表するゴールキーパーで、息子もサッカー選手。18歳で初代表になってから41歳までずっと代表であり続けたほどの存在。イングランドの3部リーグでデビュー。すぐにトッテナムに引っこ抜かれる。ここでの10年以上のプレーの間にUEFAカップ制覇を始めとして3つのタイトルに貢献をする。その後はアーセナルに移籍をしてFAカップに制覇に貢献。再びトッテナムに戻るものの5試合の出場に留まりその後のワールドカップで現役引退。
 (*6)元GP。クセのないそれでいてレベルの高いストライカーで一応ポストをこなせる能力も持ち合わせている。前線守備意識も高いのだが、ポジション適正がそれに見合うほど高くはないのでFWだけの使いかたになる。通常Eの成長力というにも問題は多少があるが最大のネックは連係が岩城ということ。コレさえなければ優秀なんだけど。
 (*7)キャンプでの強化も必要なので2年ワンセットで運用している。奇数年→キャンプ。偶数年→大会。4試合もあるのでそれなりに強化もできることころが◎。
 (*8)このゲーム発売時のシーズンはちょうど2001―2002のシーズンで、このときのブンデスリーガのチャンピョンはこのドルトムント。しかもアモルーゾは18点をあげて得点王に輝く。そしてその10年後のシーズンでは今度は強烈なほどに若返ったチームがバイエルンを振り切り2年連続のリーグチャンピョンとカップ戦の二冠達成。今年はリーグ戦では若干低迷気味なものの、チャンピョンズリーグの予選の死のグループをくぐり抜けてくるなど、着実に力をつけてきている。
 (*9)リベリーノがモデル。コリンチャンスでデビューをすると19歳でブラジル代表に呼ばれる。70年ワールドカップでは優勝に貢献。その中心出会ったペレが代表を引退すると10番を背負った。74年のワールドカップのFKは伝説。壁の中にジョイルジャーノが割り込み、リベリーノが蹴る瞬間にしゃがみこんで壁に穴を開ける。そこ向かってボールをリベリーノが蹴りこむ。その隙間をボールが通ってゴールネットに突き刺さった伝説のFKだった。ヨーロッパに出ることはなかったが選手生活の最晩年にはサウジアラビアのクラブでプレーをしている。
 リベリーノと言えばFKもさることながら、ドリブル技術もあり、そのフェイントの一つにエラシコという技術がある。左足のアウトサイドに軽くボールを当ててフェイントを掛け、すぐに左足のインサイドで聞い返して相手を抜いていくという高等テクニックで、後にロナウジーニョがこの技術で一世を風靡したのだが、このテクニックはリベリーノが開発したとか、セルジオ越後(ゲーム名・セルジオ エダ)がリベリーノに伝授したとか発祥がはっきりしていない。
 引退後は清水の監督に就任。成績が振るわずにすぐに退任してしまったのだが、技術指導に熱心だった。また当時無名で後にブラジル代表になるジャウミーニャを清水によんだもの彼で、チームの中心に彼を据えていた。監督というよりもコーチに向いていると感じるのだが。
 (*10)ディノ・ゾフがモデル。イタリアの歴代を代表する守護神で、40歳でワールドカップイタリアを優勝に導いた。イタリア人として唯一ワールドカップとヨーロッパ選手権を制覇した選手でもあり、その功績は計り知れない。晩成の典型的な人物で、実力が開花したのはナポリ在籍時代。イタリア代表としても活躍をして長時間無失点記録を作る。ワールドカップの時にはその年令から不安視されたものの、終わってみれば優勝に大きく貢献。ユベントスでもシーズンすべての試合にフル出場という医業を達成するなど、安定した活躍を見せたGKだった。
 監督業に入ってからは運がなく、名声を高めることが可能だったイタリア代表ジアイはユーロでその当時頂点に立っていたフランスに敗れ準優勝。ユベントス時代にはUEFAカップとコッパ・イタリアを制覇するもののスクデットは獲得できず。ラツィオ監督(3回目)はワンシーズン持たずでクビ。フィオレンティーナでも監督を務めていた。
 (*11)ルジェリがモデル。マラドーナ時代のセンターバックで、代表キャップ数はシネオメが抜くまで最多の97を誇っていた。ボカからデビューをして5年間頑張った後にライバルチームのリバー・プレートに移籍。ここでリーグ・リベルタドーレス・インターコンチネンタルの3冠に大きく貢献。このときにワールドカップ優勝メンバーに名を連ねる。その後はスペインへ進出。レアルマドリードにも所属したことがあるが、その後は母国とメキシコのクラブに所属。サン・ロレンソ時代にも94年ワールドカップメンバーに選ばれ、マラドーナが追放された後のキャプテンを務めた。97年に引退をして指導者の道を歩んでいる。
 (*12)マティアス・サマーがモデル。(*2)の時点でのドルトムントの監督。元々は東ドイツの選手だったのだが、ドイツが統一されたことにより西側優位だった代表に入ることになる。彼が見せたリベロでありながら、シャドウストライカーもこなす「フォアリベロ」というスタイルは新しいプレースタイルとして注目された。現役引退後はドルトムントの監督に就任。ブンデスリーガ優勝も果たす。ベッケンバウアーが拡大して大きくしたリベロ(最後方からゲームを組み立てるスイーパー)をさらに進化をさせたのだが、こういうタイプの選手は今では見られなくなってしまった。
(*13)ムトゥがモデル。パルマ時代の中田ヒデの同僚で、ルーマニア時代の活躍が認められインテルに移籍をするも10試合無得点となりヴェローナへレンタル移籍。しかし、ヴェローナが降格してしまいパルマへ。このときの中田ヒデ・ムトゥ・アドリアーノの3トップは強力で、チームをUEFAカップ圏内に押し上げる事になる。そのパルマとは1年で別れチェルシーにステップアップをするものの、コカイン仕様が発覚をして出場停止と罰金の罰則を受けチェルシーも解雇される。その後はユベントスに渡っトレーニングを積んでいたのだが、カルチョ・スキャンダルに巻き込まれる形でフィオレンティーナに移籍。順調に着ていたのだがここでチェルシー時代の罰金が重くのしかかってくる。そんな状況の中でも結果を出し続けていたのだが、またの禁止薬物に引っかかってしまいまたも長期出場停止に。その後チェゼーナに移籍をしてフランスに渡って奮闘中。
 (*14)その風貌から元珍(暴走族)疑惑が立つほどのサイドバック唯一のFP。ただし能力だけで言えばフォワードでさえ無難にこなせるぐらいのユーリティープレーヤーでGK以外の能力は平均以上。海堂を右サイドにして上位に上げたぐらいの存在として君臨する。3以降では海堂が台頭してきてしまい、少しトーンダウンさせられているがユーリティー性能は健在。OMFとFWができなくなってしまっているが、その他のポジションはどれもが上位クラスに入ってくる。おまけに晩成なので主力でいられる期間が長いのも特徴的。
 (*15)国内F・GPだと鬼茂・東条・阿見の三人。以外なところでは仲原(高原)、中澤(西澤)の2人も理解力が高い。けれどほとんどがストライカー向きに設定されているので探すこと自体がかなり厳しいというのが実情。現実問題仲原・中澤は外国人スカウトの半固有だし。外国籍の選手でも多くはないが、いることはいるので。今になって思えばミューレンGをとっておけばよかった。(ポスト理解SS)
 (*16)原博実がモデル。息子はお笑い芸人。福田正博の前にエースナンバー9を背負っていた選手で、浦和の前身である三菱自動車はもちろん日本で代表でも点取り屋として活躍。代表ゴール数(国際公認)歴代3位の記録を持つ。ゴールも劇的なものが多かったことから「アジアの核弾頭」という今ではおっかない名前も持つが、今では「ヒロミ」と言うあだ名で呼ばれることが多い。
 引退後は浦和のコーチをヘタ監督に就任するが。ファーストステージでは3位になるも、セカンドステージでは13位と振るわずに解任される。しかしFC東京の監督時代に自分が学んできたスペイン流を入れることで、チームを大変身させる。就任一年魔の開幕戦の鹿島戦では4―0の圧勝。2004年には延長PKの末に浦和を下してチームに初タイトルのナビスコカップ制覇をもたらす。しかし2006年シーズンでは序盤のつまづきから監督後任をチームが探していたこともあり、契約切れでの退任。しかしその4年間は一部のサポによる解任要求騒動はあったものの、概ねファンからも愛された。その後一度監督に返り咲くものの、年間とおして成績が振るわず1年で退任。
 若手選手を多く使う監督でそこから生まれた選手というのは日本代表を支えるまでに成長した選手をも排出している。しかし浦和時代はそれが裏目に出た格好になり、FC東京ではそれがいい形に出た。評価はわかれるけれど、選手としても監督としてもそして解説者としても言っての評価を与えていい選手だと思う。

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