開発するにはひとつの指針を
(開発方針・自分なりですので参考程度に)
 前回はいきなり内政を省略してしまいましたが、今回は内政という部分から掘り下げてみたいと思います。ちなみに技術革新に関しては真田編でやっていますので、そこを参考にしてください。

 まずはどのように町並みを配置するかを決めます。基本的に町並みに関しては6から10の5通りがありまして、さらにそこに周辺を配置して初めて効果が現れるという事になります。具体的に言えば武士町一つでいけばその周辺すべてに市を配置すればそれだけで4000の収入が見込めますし、農村を配置して畑を作れば季節ごとの収入は2400あがります。また農村に兵舎を多く配置すればそれだけ兵士数が増えますし、職人町に学舎を配置すればその数に応じた技術が開発できるわけです。

 しかし闇雲に別な大名家に同じような配置をしても、状況がそうは簡単にさせてくれません。一つの例を挙げるとすれば英雄集結の徳川家。これが六文銭戦記の相模であったなら武士町4・商人町1・農村2・職人町2・門前町1で、その周辺に好きな物を置けるというのは可能です。今川家方向には支城が置けますので、そこを食い破られない限りはどうってことはありません。しかし三河の場合は違います。町並み同じ10を置けますし、そこにおける施設の総数もわずかですが相模よりも上です。しかし北から恐怖の真田一家が攻め込んできた場合防御技能がないと苦戦必至です。国人衆が止めてくれる場合はいいのですが、それでも損害を覚悟しなければいけませんし、なおさら通ってきてしまった場合は直接対決した排除するしかありません。そのためアシストとして以下のようぬする必要があります。

 櫓櫓櫓道道櫓櫓櫓
 市武櫓道道櫓武市
 市市櫓道道櫓市市
 道道道道道道道道
  城城城
  岡崎城
  城城城
 (図はイメージです)櫓=櫓ないし鉄砲櫓、武=武士町、市=市ないし商館ないし奉行所

 なのでどうしても現金収入が5000ぐらい減ってしまいます。いつもやるたびに収入が10000いかなくて苦労しています。もちろん真田をつぶしてしまえばこの櫓の部分配置を市変えますが、それでも周辺の期間がなくなるまでの長期間はこの状態になると思います。要は状況に合わせた初期の国づくリというのを考えなくてはいけません。ここの毛利の場合は多少経済力を犠牲にしてもそれに見合うだけの価値ある研究ができるという部分と、一刻も早く名声を220にあげなくてはいけないというのがありまして、結果的に全少のようなことになりましたが、場所によってはその開発方針を大きく変えなくてはいけないところもあります。ので実例を幾つか上げて紹介したいと思います。

 1、プレーヤー大名:信長で開発する国が尾張しかない場合。
 尾張一国だけを見るとかなり強力です。おける施設は10。しかもその10個全てで置き場所に困らずに、80も施設が置けるという素晴らしいポテンシャルがあります。しかも、川が二本も通っているので本来であれば食料にも困りません。しかし金山のたぐいがないので経済的困窮は必至。しかも灰吹法をとるには三河を攻め取らなくてはいけないものの、先に攻め取る状態なのは六文銭戦記だけ……と、くれば割りきって物事を進めていくしかありません。方針とすれば武士・商人5・農村3・職人2に振り分けて、南蛮町は建設ができないと考えます。幸いにして攻める方向はシナリオ次第ですが一つしかないことも合わせて考えると、準備にウェイトがかけられるのが大きいと思います。

 2,プレーヤー大名:北条家で英雄集結の相模
 ここの大名家の最大の強みは内政に多くの時間がかけられること。いきなり独自技術を目指しても問題がないぐらい。ただあまりにも時間をかけ過ぎると武蔵を取られて前に出るのが非常に難しくなるので、内政研究をギリギリの灌漑までにして、先に28のほかに足軽4を容易。そこから内政学舎を削って、足軽学舎の研究をしていけばいいだろう。一門衆も優秀だし全体の政治力が高い点を活かせば、多少の遅れぐらいはすぐに取り戻せる。

 3,プレーヤー大名:英雄集結・上杉
 金銭収入には困らない。内政学舎は最初から入っていないけど、すぐに内政学舎を研究できるので、優先順位は他のところと同じ。最初から金×2・銀×1が発掘出来ればいいのだが、それを上回るぐらいの武将数の多さに辟易をするのかも。牧場を開発しても活かす道が出来る機会がないかもしれないというのもが頭の痛いところ。やはり8だと上杉は経済力が良くとも足りない。早めの外征が必要になってくる。

 4,プレーヤー大名:信長が倒れた後の羽柴
 まさに最大勢力だが、それゆえに動きがとれない状況が続くのじっくりと構えておくことがコツ。とにかく収入不足をどうにかしないといけないので地域ごとに役目を分けることを考える。近畿は商人衆と提携を続け、中国地方で技術研究。研究部門も一気に抑えるので秀吉はしばらく出陣なしかと。

 5,プレーヤー大名:英雄集結・羽柴
 人材は恵まれているがゆえにジリ貧が確定的。おまけに銀山があるけれどおける施設が少ない。となれば早めに他の国の領地を取るような行動を取りたいのだが、開発用地8だとかなり狭い。ここはある程度の犠牲を覚悟する方式で行くしかない。職人町を1つに限定をして金砕棒を開発。波多野か赤松を一気に攻め取って、そこでようやく内政を落ち着けるという格好か。近畿も中国頭部も銀山のたぐいはないので灰吹法を後回しにしてもいいかも。

 という感じにある程度決まってくると思います。で、ここからは2部毛利の話になりますが、内政だけで言えばかなり有利な場面に立てると思います。最初から3つの特殊な街が建設できること。銀山が3つあるので収入の底として6000、灰吹法がアレばその倍の12000が期待できること。それを考えると特殊施設の建設は全てやった上で何を建設したほうがいいのかという方向で考えたいと思います。なので、2部毛利の最初の内政は以下の漢字になります。

 1、特殊施設を建てることから安芸は門前町を一つ。周防は南蛮街と公家町の建設が確定。
 2、それぞれの地区に学舎を16立てるので、安芸は職人町(もともと一つ立っているので)一つ。周防は学舎が配置できる特殊施設の公家町を2つ建設。
 3、安芸の川沿いに農村をもう一つ追加。これで水田は6確保。安芸の残りは武士町に。建設できる兵舎の数はセオリーよりも少ないが、こればっかしはしょうがない。
 4、安芸の水田だけでは食糧問題はかなり厳しいので周防の北西の端に農村を建設。漁戸を建設して少しでも食料の確保に務める。スペース的に兵舎を多く配置できないので南蛮町を一つ配置。これでセオリーの兵舎11が確保できる。
 5、残りの4スペース分は武士町に。
 6、武士街の周りには基本「市」だが、特産物確保量アップのための奉行所を配置。後々を考えるなら商館はいらない。恐らく外征に出る頃には兵糧10万は超えているだろうし(ただしあるルートで進行する場合は必須かも)
 7、港の関船製造所は今回は破壊。少しでも金銭収入がほしい。海に面している場所だけ櫓を建設。ただし下関は瀬戸内海側だけでいい。
 8、学舎は安芸に内政16・周防に水軍16。安芸は二期作まで覚えたら解体して足軽か弓に切替。出来ればこの間に足軽学舎をゲット。

 という感じになります。期間は内政1年半ぐらい、それと同時に技術研究をするのでトータル3年ぐらいはかかるでしょう。一応この間にやっておくべきことはやっておきますが、中国地方の西をほぼ制圧しているのが毛利にとっては割合ネックになっている部分があります。一応言ってしまえば大友がヒックリなしにやって来る可能性があるという意味です。この間はなんだかんだ言っても内政は中断されてしまいますから、その間研究以外は進まないという可能性が出てくるわけです。もっともこの間に戦闘をしないという選択肢はないに等しいですし(後の章で語ります)

 高い政治力を持つ面々がいる毛利家で、しかも人材を引っ張ってきたりしているので、数に関しては余り困りません。人材集めの敵に関してはむしろ別なところにあるわけで、その点だけで言えば毛利家はほぼ安泰といっていいでしょう。確実にやるべきことやって行きたいと思います。

 毛利家の内政の順番は以下のとおりです。
 1、宇喜多直家を抜く
 2、幕末の四天王を確保
 3、とりあえず市を最優先に確保&銀山の発掘
 4、灰吹法&二期作のために内政学舎を16用意
 5、寺と提携、この間に兵舎を用意
 6、佐藤銀山に一夜城を建設
 6、各種技能を研究しながら、高杉を周防に派遣をして足軽学舎の研究
 7、二期作まで研究をしたら、内政学舎を壊して足軽学舎へ。その間に水軍技術を研究
 8、足軽技術4つを一気に研究
 9、進行開始
 という形になると思います。この間に出来れば南蛮貿易をしたいところです。足軽技術をつぶして水軍を32にするということも可能ですが、その辺りになると経済力も欲しいところですし。

 次の章では、真田編ではさわりに近い形でしか触れていない、技術について触れたいと思います。

 (毛利家のプロフィールは元就と吉川・小早川が終わったらSP武将をメインにしたいと思います)
 毛利 元就 

 「稀代の知将」「大河主人公」。大内氏に使えていた父が引退を決意した時に、一緒についていき少年時代を過ごすが、10歳の時に父親休止してしまい住んでいる城を追い出され養母のもとで世話になる。正式に元服をした時には多治丹元就と名乗っていた。しかし後を継いでいた兄が急死。してその後継がまだ元服もしていなかったほど幼かったので、毛利家は同様をするところにすきを突くように安芸・武田家が攻めこむ。皮肉にもこの闘いが元就の初陣になってしまうのだが、最初の戦闘で武田家の猛将とされた熊谷元直を打ち取り、さらにその状況で打って出てきた武田元直を打ち取る。後に西国の桶狭間と呼ばれるこの闘いは、毛利家の命運を救っただけではなく飛翔の機会を得るための戦いになった。
 その後本家の後継ぎきも早くなくなってしまい、家臣団に推挙される形で27歳という年齢で家督を継ぐことになる。この時に長男隆元が生まれている。しかし家中は安定せず、尼子の支援を受けた家臣に反乱を起こされたり、勝手に自害してしまった部下の子供の説得にも隣自らが乗り出したりしている。そしてようやく家中がまとまってきた時に、尼子家を離れ大内家に仕える形を取りながらも勢力を拡大し始める。その後安芸武田氏を安芸から追放。さらに兵力差10倍の吉田郡山城の戦いを乗り切り、安芸の支配権を確立。しかしまだ大内の参加にいた状態で、その大内の尼子攻めに大敗をしたことから、小勢力で要られることに限界を感じ始める。
 付き合いが深かった小早川家に幼い隆景を養子に出して、その後に妻をなくしてしまい形上の隠居生活に入るが、実態は毛利家の実質的な支配者の位置にいた。その後吉川家に元春を送り、さらに隆景を小早川家の当主にすることで、毛利を支える両川体制を作り上げる。この頃になると、大内氏は陶晴賢の乱で弱体化、尼子家も経久が亡くなるなど状況が劇的に変化。さらに厳島の合戦においては完全に計算されたといわれるほどの策謀をめぐらし圧勝。大内家を実質的につぶしてしまう。完全に勢いを得た元就は尼子家に新古を開始。当主を失い迷走状態に入り込んでいた尼子家には為す術がなく、どんどん領地を獲得するが、信長の支援を受けた尼子の反撃と、大友との板挟みの中、大友との和解の中で九州の支配権を失ってしまう。おまけに息子隆元にも早死をされてしまうという大ピンチの状況になるが両川の活躍で何とか切り抜ける。中国地方の覇権を握った男は、数奇な運命に揺れる毛利家の基礎を作ってこの世を去った。
 よく毛利家の話と仕てあがってくる三本の矢の話。サンフレッチェ広島の元にもなっている話なのだが、よく伝えられているのは元ネタありの作り話(じゃないと死ぬ間際だと隆元が生きていないので整合性が合わないし、隆元健在だとすれば三本の矢の太さなら簡単に折れてしまう)だと言われている。しかし家族に対して色々気にかけていたのは確かでその書状は残っているんだけど、その内容はよくよく見るととんでもないことがさらりと書かれていたりする。

 稀代の知将として貫禄のある知略105。デフォだと10人ぐらいしかいない数値なので立派なのだが、中国地方にはもっと数値が上の尼子経久がいるので考え所。行動の結果を確実に射当てるので最初のうちは宇喜多直家を抜くことに専念。その後も人材の確保に専念をして、研究は小早川たちに任せるのが序盤。外征は最初から「同討」を覚えているので全面に出るのが基本になってくるのだが、これは割合負担になるかもしれないので、ある程度先に進んできた段階で隆元か輝元にスイッチするという選択肢も考えたほうがいいかもしれない。先を考えるなら足軽適性の上昇を優先させたい。

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