春日山攻め
 上杉という勢力は謙信を筆頭に戦闘力においては化け物クラスが揃う強力な勢力です。知略もそこそこ高い連中が揃っていますし、SP武将小栗がいますので、一見すると知略面でもかんぺきかもしれないと錯覚するかもしれません。しかし真田家にとってはその知略面こそが付け入る隙で、そこをうまくついていけば謙信でさえ戦力が無効化できます。最大知略に関しては真田家が幸隆の99(今の段階では譜代化しているので100)に対して上杉軍は宇佐美定満の97。これは間に昌幸の98が入りますので、隙とすれば充分な要素の一つだと思います。それと、上杉軍の弱点の一つとすれば足軽戦法を通しやすいというところです。足軽戦術に明るすぎる村上義清が見つからないまま時間が経過していると、足軽戦術に明るい人物は上杉にはいませんからダメージを与え放題ということになります。
 とはいえ、チャンスはたぶんこれっきりでしょう。いくら幸村・昌幸が革新の中での屈指戦闘能力を持った所で謙信の直接攻撃力にはかないません。しかも上杉家には最初から技術馬上槍があるので、ただでさえ凶悪な攻撃力が余計に凶悪になっています。そのためこっちも三間槍を開発する必要があったのですが、学舎の関係上「当世具足」は習得できません。ので、やり方としては個人的には好まないハイエナという手段ですが、謙信が出払っている今攻めてしまいたいと思います。
 まずは編成ですが、部隊長は幸村・昌幸にします。これは単純に采配の高さだけを見たのですが、一門衆ですので兵士が+5000されるという強みがあります。これを幸村隊・昌幸隊とします。次に昌幸隊には昌幸の武勇が若干少ないということで、木曾義仲を入れます。これで武勇に関しては95という数値が昌幸隊の攻撃力になります。一方幸村帯は幸村の能力が戦闘特化型でかなり高いのでこのままの数値(100)でいきます。采配に関しても昌幸(102)幸村(105)ですので、このまま行きます。ちなみに幸村は通常の武将の中では3番目の采配の持ち主なんですが、この上が謙信・信玄のため隠れてしまって印象が強いです。さらに天道では能力変更で攻撃特化型に変わってしまいましたし。(采配98・武勇105)知略に関しては幸村隊に雪隆を入れれば完璧……と思いますが、幸隆は入れません。代わりに才蔵を入れておきます。というのも、激励をかけたときに助言者の知力が低いと金銭の無駄になる可能性が非常に強いです。ここは幸隆の助言を頼りにするために会えて入れていません。三人目は育成をしたい武将もしくは補助的な武将を入れることにします。ただ昌幸隊は昌幸一人で完全に揃っているので、佐助の強化を考えたいと思います。佐助も「火牛」習得可能武将の一人ですので、経験値を積ませます。一方の幸村隊は足軽適性Sの清海を入れておきます。「槍備」の戦術を幸村は経験不足から使えないので、使える人物を入れる必要が出てきます。ちなみに才蔵も「篭絡」(ただしこの戦闘ではつかわない)が使えるのでそのための配置です。他にも適正Sの武将として保科正俊がいるのですが、今回は清海を入れておきます。
 以上のことを踏まえると編成は次のようになります。
 南越後・春日山城攻略部隊
 第1軍
 真田昌幸木曾義仲猿飛佐助
 部隊戦闘値 采配 102 武勇 95 知略 98
 兵科 足軽
 兵士数 14500
 戦術 同討→槍備→鼓舞

 第2軍
 真田幸村三好清海霧隠才蔵
 部隊戦闘値 采配 105 武勇 100 知略 89
 兵科 足軽
 兵士数 15000
 戦術 篭絡→槍備→鼓舞

 という形になります。もちろん人材の関係なんかで人材なんかは変わっていきますが、幸村に関しては適性は高いがそれに見合う戦術が騎馬程度しかないのがかなりの問題となってのしかかってきます。その為こういう編成をとるわけです。
 進軍を開始します。海津から春日山までは距離がかなり短くなっていますので、すぐに張り付きます。もちろんこの間に激励も走らせます。謙信たちの部隊は海の上ですので、出来れば戻ってくる前に炎上→謙信たちが春日山に戻ってきて、その兵士も叩くという寸法で行きたいと思います。もちろん、この間に武将の成長が出来れば文句は言うことはありません。
 城に難なく張り付いて攻防戦開始です。少し強化をしている分、やはり城の防御のオチというのは早いです。しかも気合が溜まってきます。この間恐れるのは謀略が来ることですが、幸いにも外にいる武将を含めてそういうことが出来る武将が少ないので、来ることがありません。どんどん城の防壁を落としていきます。

 気合が充分たまりましたので昌幸隊に同士討ちを発動。さらにこれに槍備が連鎖をしていきます。(この段階で昌幸は罵声・木曾義仲も罵声を習得)

 紅葉状態が切れましたが、今回はそのまま激励にいかず、幸村隊の鼓舞でカバーをします。これも計略適性の成長のためで、最終的には幸村一人で他の二人を引っ張れるようにしておくことが目的です。その為には適正上昇家宝もある程度は惜しまずあげることにしています。(この鼓舞で佐助→鼓舞・才蔵→威圧習得)

 ようやく謙信たちも戻ってき始めたのですが、この段階で炎上。残っている兵士と成長の兼ね合いを考えると、おそらく戻ってくる前に落ちてしまうような気がします。調節を兼ねるとヘタするとこっちが不利になってしまうので、このまま一気に落としてしまいます。(このあと幸村隊が鼓舞→才蔵混乱)

 一回ずつ槍備を入れた後に、止めに昌幸の「同討」からのコンポが炸裂。謙信たちに迫られていましたがぎりぎりの段階で落とすことが出来ました。ただ10000以上も兵士を柏崎港に入れられるとこっちも次が厳しくなりますので、奇襲攻撃を仕掛けて検診ではない方を落としておきます。(これは推薦が出てほんとうに助かった)この部隊も無事に潰して、春日山をようやく手に入れることが出来ました。
 このまま一気に攻めていきたいのですが、次回は技術全般に関して語りたいと思います。

 真田幸隆

 「攻め弾正」「謀略の鬼」
 出身がはっきりとはしないが、真田家か海野家のどちらかから出ているのは確定している。それだけ当時の出自はあやふやなのだが、地域を収めていた領主であることには間違いなく、1541年に村上義清や武田信虎に領地を追われるまでは、信濃の一地方の領主として存在していた。
 その直後にクーデターにより信玄の政権に移ったのだが、いつになって戻ってきたかは不明でその間は長野家に仕えていた。そののち武田家に(勘助の推薦があったとも)仕え、村上方の武将の調略に成功。そののち武田家に大敗を招くことになる砥石城の戦いにも従軍をして大敗を目前で見ることに。しかし難攻不落とされたこの砥石城を謀略を使ってあっさりと落としたことこから、旧領を回復。ただそこは対上杉の最前線だったことだったため、かなり苦労をしたようだ。とはいえ信玄の信頼はかなり厚く、一時期は箕輪城代という地位にまでなっていたことも。この活躍をしながらも、67年には病のために引退。ただ引退したといっても、その地で対上杉などの押さえという意味もあったらしい。信玄の死後翌年に病死。
 真田三代の4人の祖として、実力はもちろん影響力というのはものすごいものがあったのは言うまでもない。真田家といえば六文銭だが、それを決めたの幸隆で、当日変えていた山内上杉(→長野家の上司)に戻らないという決心の現れで、誰もしなかった六文銭をあえて選んだと言われている。実際昌幸・幸村・信幸はこの六文銭の旗印の通り何度も地獄を渡るような状況での活躍が多かった。それ故か信玄も譜代衆扱いにしてまで、その信頼に答えたと言われている。

 ゲーム中においては勘助を押さえ武田家中の知略NO1の地位になっている。それを活かすのであれば譜代にして絶対にいうことがはずれない軍師にしておくこと。政治力の高さを生かして途中までは研究要員。そして後半は戦闘要員としての実力を兼ね備えている。あとはどれだけ適正強化ができるのかが鍵になってきそう。

 次の章に進みます 前の章に戻ります トップページに戻ります