北越後へ
 前回上野を取ったことにより思わぬことが一つ出てきました。南越後・そして武蔵との国境に支城が建てられることになったことです。これは上野に兵士が徴収されると、その半分の数が支城に徴兵される→つまりは一回徴兵されると普段の倍の数の兵士が徴収されることになります。さらに片方の城の譜代の能力が80を超えていれば、もう片方の部門部門が80を超えていなくても効果はありますので、これによって謙信か幸村のどちらかをパワーアップさせることが可能になります。
 といっても目の前に北越後の支城である栃尾城の存在が邪魔です。こっちは兵士20000以上存在していますし、越中はまだ神保家の領土です。(これが本願寺になると国人衆が盾になってくれる可能性は低くなる)若干の不安はありますが、北越後への侵攻を開始したいと思います。まずは栃尾城から。(この前に一応支城沼田城を建設しています。譜代は直江兼続)
参加武将1 参加武将2 参加武将3 部隊采配 部隊武勇 部隊知略 兵士数 戦術
第1部隊(騎馬) 上杉謙信 真田幸村 宇佐美定満 127 106 97 10000 突撃→鼓舞→先駆
第2部隊(足軽) 真田昌幸 長尾為景 猿飛佐助 104 104 99 10000 同討→槍備→鼓舞
 これまでの戦いから兵士数のスケールアップもしていて、しかも防御力も本城に比べれば強くはありませんので(つぶての発射のあるけれど)、今回は完全に力押しになります。謙信隊は謙信の他の幸村を入れています。これは幸村にも謙信と同じく騎馬の特殊戦術があるわけでそれを収録させるために謙信隊に組み込んでいます。それ故今回は昌幸隊には謙信の父親である長尾為景をいれて補強。保科さんは連続で休みにさせています。本来であれば佐助の代わりに彼なのでしょうが。(槍車を一刻も早く覚えさせて恒常戦力化にするため)
 戦闘自体は今回もあっさりとという形になります。謙信がいて昌幸がいて幸村がいてさらにはウサミミこと宇佐美がいて……正直目の前で彼らと対峙したら勝てる気がしません。結城家も決して悪くはないのですが、流石に相手が悪すぎました。これで栃尾城を手に入れることが出来ましたので斎藤晴信を譜代にします。地味な武将なのですが、今回は大幅にパワーアップしてなおかつ譜代化の恩恵を存分に受けれる武将になりました。こういう武将の存在というのはかなり大きいと思います。
 負傷兵を回復させ次第、今度は本城である新発田城へ突撃を敢行します。(メンバー、戦術、兵士数はすべて一緒なのでここでは省略させていただきます)兵士数は栃尾城の半分にも満たない6000人程度(栃尾城を攻めたときにはそこには13000いた)だとすると取るべき作品は一つ。またも力攻めです。一気に落としてしまいます。さらに運がいいことに出陣直前に豊作の報告があり兵糧が90000近くにまで上昇しました。これで完全に兵糧不足の心配はなくなりました。あとは力攻めをするだけです。
 1560年12月 真田家が結城家を滅ぼす
 結果は栃尾城よりも苦労をしないで陥落。これで両越後統一になります。金山のおかげで経済力が飛び抜けた物になり、あらゆることが可能になってきました。ので、結城家の面々を取り入れつつ、国内改造も開始。ここの特産品は金なので奉行所を多めにに作っておきます。金さえ確保できればあとは各商人衆との特産品交換の時の主力として大いなる力が発揮できます。もちろん兵舎の建造も忘れてはいません。さらに次の侵攻先として蘆名の黒川城をターゲットにするので、兵士を栃尾城に移動させておきます。もちろん各所の寡兵と各部門の研究も欠かせません。「馬上槍」→「馬鎧」と研究は完了しています。(61年1月現在「金砕棒」研究中)さらにイギリスから「大努弓」の技術ももらっていますので攻撃防御ともに急成長しているのを感じます。
 次回は蘆名の居城である黒川城を攻めます。
 次回「黒川城取り」に続きます

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