酒田港攻め
 いよいよこの真田昌幸編も最上と伊達をこちらの勢力にくわえるだけになりました。最上の所領は酒田港だけ。伊達の所領は一時期は三カ国あったのですが、包囲網を組まれる前に南部と佐竹に取られてしまい、本拠の岩出山城と塩釜港だけになってしまっています。伊達に関しては真田家と相性がいいので、岩出山城を落とした後に勧告をすれば簡単に落ちます。しかし逆に最上は相性が悪いので、今の段階で勧告をしても落とすのは無理です。しかし対伊達を考えると切り札として最上義光(知略96・計略Sで最初から籠絡を習得済み)が欲しいので先に最上陣営をつぶしてしまいます。
 しかしそのためには邪魔な存在が二つあります。東北国人衆と羽黒の忍者集です。忍者集は通り道にあるのでそのままとっこんで行けば確実に当たりますし、国人衆は国境の向こう側にあるのですが、そんなのは関係なしに弓矢を売ってきますので損害を考えなくてはいけません。安東家を攻めるというのであれば国人衆を無理矢理つぶすという手段を考えるのですが、今は損害を出したくはないので、そのままにしておきます。逆に忍者集の場合は事前に契約を結んでおいて隣を素直に通らせてもらうつもりです。新しく包囲網が組まれたときの対策に兼ねていますので、出来れば契約による3年ではなく武力鎮圧による5年のほうが良かったかもしれません。
 準備がおえたところでいよいよ酒田港に侵攻です。今回は昌幸を後ろ役にするために、幸隆が出陣をします。計略要員がもともと少ないので、幸隆をどうしても鍛える必要阿がアルのための処置です。もっとも昌幸以上の謀略の数値を持っていますので、ある意味凶悪さはこっちの方が上なのですが……
参加武将1 参加武将2 参加武将3 部隊采配 部隊武勇 部隊知略 兵士数 戦術
第1部隊(騎馬) 真田幸隆 上杉謙信 宇佐美定満 129 108 103 7798 車懸→混乱→鼓舞
第2部隊 真田幸村 保科正俊 猿飛佐助 106 100 89 8000 同討→槍備→鼓舞
 2部隊ですが、数千しかいない港攻略に城の兵士全部持って行くわけにはいきませんし、第一次の伊達戦を考えると、多少防衛の兵力も残しておく必要があります。伊達家には出来るだけ多くの兵士が必要ですので途中にある二本松に支城を建てて兵士を来た越後からも集められるようにしておきます。そのためには昌幸の力が必要です。最上戦が終わればそのまま二本松へ支城の建設に行かせます。
 戦闘の結果は火を見るからに明らかです。あっさりと忍者集の横を通り過ぎてそのまま戦闘へ。謙信の車懸の戦術がクリティカルで決まったこともありあっさりと炎上。2回目の車懸であっさりと決着がついてしまいました。
 1564年 6月 真田家が最上家を滅ぼす
 この後伊達家を滅ぼすだけになるのですが、包囲網の影響と活版印刷をゲットするまでまとうと言うことと、兵力が意外に少ないこともあり結構な直訴の準備に追われてしまっています。「活版印刷」をゲットしたのは翌年のさらに先の月になる66年2月。この間に「二期作」と「耳覆い」の研究を完了しています。さらに活版印刷ゲットに「鉄砲櫓」(いまごろ)を研究。これは2ヶ月で完成をするようです。
 外交的に言えば武田家との同盟関係を5年間延長することにします。(特産物さえあれば延長は可能)これは包囲網がもう一回来られてその中心が武田になると持ちこたえる可能性が低いのと(この段階で武田は南関東を完全に制圧しているので太田道灌・北条早雲を仲間に入れている)、来た東北を制圧している南部に対して背後から突かれるのを嫌ったためです。時期的にまずいかなあとは思うのですが、来た東北を抑えた後は自動的に北陸制圧ルートになりますし、水軍開発の方にも手をかけなくてはいけませんので、多少時間が欲しいところです。
 というわけで時期は過ぎに過ぎて1566年の秋。次回はいよいよ伊達家に攻め入ります。
 次回(最終回)「独眼竜大地に伏す」に続きます

 前のページに戻ります トップページへ戻ります