Club
(17年目・方向性)
 16年目が過ぎ施設はほとんど建設をしてしまい、バルサ(*1)のように万年借金体質苦しめられることが完全に消えた今あとはこっちとすれば自分が定めた目標に向かって進んでいくだけです。ここからはサカつくとは話が離れますのでレポートだけみたいのであれば、そのままスクロールでお願いします。
 クラブを作るときにはまずは中心線を決めます。2002の場合は基本的に3バックでも4バックでもそこそこ強くはできるのでまずは、3バックを袖珍に考えます。で、基本的にメンバーに対してもそれに合うように考えます。2002の場合は基本的にFGPクラスは他のポジションを簡単にこなすことできるほど優秀です。例えば海堂であれば左サイドバックだけではなく、左ウイング、ボランチ、トップ下、センターバックぐらいだったら、こなすことはできます。こういう複数をこなせることオシム時代はポリバレントといい、今だったらマルチロールと呼ばれることです。今では常識的になっている部分がありますが、04の場合はスペシャリスト信仰のジーコだったので複数ポジションがこなせる選手が少なくなってしまいました。それゆえに2002では以外にこのポジションをこなせるんだというのが、選手編成に大きく寄与することになります。

 実際今のクラブの状況を見るとそれが嫌というほど思い知らされます。今年加入
 GK 三神 尚紀
 GK 楢崎 正剛

 
DF 御厨 親典
 DF 岬 健二
 DF モルセン
 DF 森崎 敬
 DF 萩原 忠志
 DF 玖珂 次郎
→ボランチに転向予定
 MF 星野 光
 MF 新谷 友樹
 MF 高杉 和也
 MF 海堂 大

 FW 野毛 秀樹
 FW 阿見 達也
 FW 山土巣 大鳥
 FW ルンゲK
 FW ストニコフ


 このメンバーを見て分かる人はすぐにわかると思います。実はFGPの攻撃的ミッドフィルダーがいません。高杉がいますのでそれでいいという訳ではありませんが、海堂hサイドバックからの転向組ですし、野毛が怪我とした時には高杉を上げて、御厨を入れて対応していました。成長型とメンバーの兼ね合いを考えると、玖珂はボランチにあげてしまったほうがいいわけで、そういう意味で言えば中盤のうち将来二人は本来のポジションではないという状況が生まれます。年令的に言えば萩原がダメに成った時には御厨入れれば当座の間は持ちます。なのでセンターバックに関しては後4年ぐらいは探さなくても大丈夫です。GKもぎりぎりになって楢崎が入団してくれたので10年ぐらいは考えなくても必要です。FWも問題はないでしょう。となると中盤の薄さをどうにかしたいのですが、海堂はあと5年は成長するでしょうし、高杉は40まで成長し続けますので、この辺りは頭の抱えどころになります。

 ですが、基本線はかなりはっきりしています。システムは3−4−3。DFはリベロで、さらに中盤にはプレスを敷いています。とっている戦術はジャンケンシステムに巻き込まれることがないポストプレーで突き進みますので、集める選手のタイプもはっきりしています。GKは世代交代を考えた時に出てきた若い国内GK(これかなり重要)かキャプテンになれる外国籍選手(*2)かのどちらかが出てきた時にとるという形になります。センターバックはシステムの仕様上3人ともCDFになるので、それなりの人材を連れてくることになります。今回のケースはまさかFPのDF3人が一気に揃って、さらに萩原型のモルセン、森崎がいる状態ですのでそこの部分だけで言えば出来すぎの状態になっています。中盤は現状薄いですが、玖珂も御厨もいるので、どっちかに一人でも戦力が加入出来れば安定感はマスと思います。となると薄い部分はサイドの2人の控えということになります。ただこっちもルンゲKがいるので問題がないかと。3トップは基本的にポストマン+ストライカーの組み合わせです。現状阿見がそのポストマンの位置にいますが、将来的にはストニコフがその位置に入るでしょう。残り2人も現状では問題なしです。なのでこの状況からの補強となると

 1,高杉・海堂の控え
 2,(玖珂が入る前は)屋野引退により薄くなったボランチ
 3,センターバックの控え。できればここにクラブの象徴的選手が来てほしい
 4,ストライカーもしくはポストマン


 ということになります。

 話はそれてしまいましたが、今のチーム方針は完全にこの状況で固まっています。
 システムは3−4−3、3−2−2−1−2(2ボランチ+1セカンドトップ)の状況から3−1−3−1−2−1(1V+1トップ気味)の可能性も。
 基本戦術はポストプレーだけ。カウンターに戻す可能性だけはある。
 サイドバックの選手は基本的にセンターバック若しくはサイドハーフが出来る選手だったら獲る。(実はこの段階で水原優一だけ弾かれます
 ユースによる選手補強はなし故にユース建設はしない (有効利用させたいのであれば杉下、若しくは長野・山梨・愛知のFGPを連れてきてください)
 練習場の芝生の手直しはできるだけ早めに、少しでも赤バーが伸びているなあと感じればその選手の連中は休ませる、施設に関してjはクラブハウスはサポーター交流室の建設はなし、スタジアムの方は1マスが2マス程度(ラーメン・アイス方のため)残して、観客と売上と視聴率を優先的に。(VIP来場は美味しすぎます……)と一応の計画としてこれぐらいは考えています。もっとすごい人はこれにスタジアム建設レベル4は5年以内とかとんでもない目標を立てるのですが、このリプレイ記では1年目3月に富士スカウトを雇いうという暴挙に走ったので、早めに頓挫するのは確定的だったたのでそこまでは考えてはいませんでしたが。

 上記の方法を考えてのシーズンイン。今年は予定通りラゴスキャンプ。ただ19年目まではスポンサーのからみもあり、カップ戦には参加できない。なので世界順位は落ちてしまうと予想している。目の上のたんこぶのように鎮座しているマルティニがいる限り、萩原か岬がDFランク1位になるは難しいだろうなあと思う。三神の上にいるのも三神クラスのGK3人(ゲルマール・ポフ・シュマイゼン(*4))だし。で、3月に乱数調整をかけてみたのだが前半は鹿島の秋田が17歳で出てきただけで後はハズレ。しかし日をおいた後半にいきなり爆発。

 玖珂 18歳・松並 21歳・田栗 22歳・杉下 16歳

 で、しかも前3人が同時に出るというなんじゃこりゃ的な状況。ボランチ兼センターバックとして迷わずに玖珂を獲得。これで上記のことで2と3が一気に解決。そしてここでFGP15人の目標も達成。ただ強い選手ばっかり揃ってしまったので、どうなることやらの状態に。玖珂に関しては能力爆発を起こさないで欲しいと願いながらの育成になる。つなぎを考えると岩城型の松並はスルー。とは言えOMF系のFGPって萩原型は立浪だけで結構岩城型が多いという印象があるんだよなあ……まだ現状は海堂が成長限界前なのであと5年ぐらいは交代しなくともどうにかなりそうだが。

 ファーストステージは2戦目の柏戦で負けてから4・5位あたりを行ったり来たり。のこり5節でようやく3位に上がると、そこからは強敵リッチョ・磐田を暮らして首位に。最後は2位の広島との直接対決を延長勝ち(野毛の怪我といういらないオマケ付き)という形でしめて、ようやく優勝できたという形。一応今年スポンサー条件で優勝は必須なんだけど、かなり不安になってきた。ちなみにこの段階でリーグカップは敗戦確定。磐田相手だと時たましょうもないことが起きる。気にかかるのはここ数年ヤロン(*4)がひっきりなしに出てくるんだけど、年々若がっている件23→22ときて今年の5月に出てきた時には21。16だったら遠慮なく取りに行くんだけど、そうなると三神の引退時期が伸びるのが前提条件になるのが……

 4月以来やっていない乱数調整は9月もする予定がない状態。現状サイドの位置にはサイドバックを入れても問題がないということが、野毛のいない間に御厨が証明してしまったので、当座はセンターバックの控え16・17限定で見てみようと思う。セカンドステージは、青色と息の試合が続く。新潟→浦和→大宮→神戸戦まで4戦連続一点差勝ちという試合で、その前の5点差圧勝が霞んでしまうぐらい。首位はかろうじてキープをしているものの、こっちもヒヤヒヤする戦いが続く。攻撃陣は確かにストニコフの能力がそこまで上がっていない(とは言え今年の攻撃陣を引っ張っているのは彼。一時期チーム最多得点だったし)ので、多少苦労はしているのだが、守備陣のがんばりで何とか切り抜けている感じ。チーム自体がポストプレーの戦術にはなっているものの、どちらかと言えばDF系が多い(現場行ってしまえば初期セットがそのまま強力になっただけという感覚だし)ので、攻撃的選手は欲しいのですが、那智型・岩城型が多いのが難点すぎる。

 続く鹿島戦。ファーストステージの大敗(ロナルドにハットトリックを決められる)と同じような展開になりそうになるが、なんとか逆転勝利で逃げ切り。ここからあまり得意でない後半チームも終わってみればギリギリ勝利も含む6連勝。終わってみればセカンドステージ15連勝という形での両ステージ優勝になった。アジアチャンピオンズカップは余裕で勝利。ニューイヤーカップは準決勝止まり。終わってみればリーグはブリッツ。それ以外の国内カップ戦はリッチョという結果に。国内3冠はあまり望んではいないけれど、この結果はかなりムカツク感じが。

 人事面に冠しては大きな動きが一つ。ついに監督としてゼルベルガー(*5)が登場。ケッセの完全上位互換なので、そのままチームの新監督として迎え入れる。得意分野からは離れているけれど、なかなか指導しづらい精神指導力が高く、全体的に能力が高い監督なので、彼でも文句がないほどの人材。半固有持ちだし、どんな戦術にも対応できるのがいい。彼を迎えてチームがどう変わるのかが注目される。その前にそれに応えられるカリスマがほしいところだけど。そしてルンゲKの帰国とともに楢崎をアスンシオンへ。年令的にギリギリになりつつある三神がいつまで耐えられるのかがこれからの鍵になってきそう。残っている要件を1つずつ着実につぶしながら資金を貯めていく形になりそう。
 17年目終了時点
 資金 467億6401万円 (前年比66億8070万円の増収)
 GP 9人 玖珂追加)
 FP 6人
 FP+GP 在籍人数 15人確定
 2月11月カップ戦 11回
 選手ランキング 岬 DF2位・萩原 DF2位・三神 GK2位

 殿堂入り選手 4人

 達成条件
 最少失点
 2月・11月カップ戦 10回制覇
 F・GP 選手15人(国内FP4人も済)


 未達成条件
 資金2000億円
 選手ランキング 1位
 殿堂入り選手 11人(3−4−3)
 グレートクラブカップ優勝

 (*1)収益を上げることを前提にしているのもチームのにとっての一つの活動になる。それ故に他のスポーツのクラブを経営したり、選手を育てて高く撃ったり、いろんな副業をしたりしている。日本で言えば新潟がこれを手広く行なっていて、女子サッカー・野球・マレーシアリーグの参戦・BJリーグの参戦など幅広く活動をしている。手広すぎても利益が出ている段階ならいいものの、無理な経営をしすぎてチームの財政を一気に悪化させてしまうこともよくある。その先に待っているのはチーム消滅。日本で言えば横浜フリューゲルスが親会社の問題で消滅。野球の近鉄も同じ理由から消滅してオリックスと楽天に分裂。海外に目を向けてみればフィオレンティーナが親会社の破綻によって消滅し、新チームが作られることに。もっとひどいのはバレンシア。会長が暴走しまくってただでさえやばい財政が悪化。さらに内部分裂とフロントと現場の対立もありチーム状態はがたがたになり消滅寸前。会長が蹴り出される形でどうにか問題は解決しかかったのだが、今度はヨーロッパ危機のせいでようやく建設にこぎつけたスタジアム建設が中止になる事態に。このこともありバレンシアではこの元会長を「史上最悪」と見る動きがある。困るのはこの借金が高じてリーガエスパニョーラが崩壊する可能性があるということ。とくにバルセロナとアトレイチコを始めとしたビッククラブが抱える借金がバカにならない。
 引き合いに出したバルサは借金が半端ないぐらいでかいクラブの代表格。もともと性格上メインスポンサーとにして胸の部分にスポンサーの名前を入れないことで、サポーターが資金を出しているというのを誇りにしていたチームだったのだが、放漫経営にとつけがたまりしかも粉飾決算まで出てきてしまう始末。結果的に2010年にカタール財団から180億円以上の資金を受け取る代わりに、伝統の胸スポンサーなし(その前にユニセフが入っていたが)の状況が終わってしまった。それでも借金は300億円以上ある話だが……
 (*2)FGPクラスだと大抵の場合は条件に当てはまるものの、最高級の統率力を持つGKは2002上ではFGPを外れたチラバート1人。
 (*3)ピーター・シュマイケルがモデル。デンマークを代表するGKで、長年マンチェスターユナイテッドのゴールマウスを守り続けた。息子はレスターで同じポジションの選手をしている。元々はハンドボールの選手だったのだが、誘われる形でサッカーにチェンジ。この時にハンドボールの経験が活かされる形になる。12歳からデンマークのクラブ所属をしていて、国内のチームを渡り好き28の時にマンチェスターユナイテッドに移籍。所属していた8年の間に5回のリーグ優勝・FAカップ3回・ヨーロッパのビックタイトル一回ずつ獲得に大きく貢献。その影響力の大きさもあり、世界最高のGKと言われていた。現実問題2000年にはいり彼がチームを去ると、マンUはGKの後継者問題に頭を抱えることになり、ファン・デル・サールが来る5年の間常に悩まされ続けることになる。
 (*4)レフ・ヤシンがモデル。二つ名は「黒くも」。旧ソ連の代名詞的な選手で唯一のパロムドールを獲得したGK。彼の功績を讃えてワールドカップで一番活躍したGKには付けられるヤシン賞の元。21年間の現役生活はディナモ・モスクワだけで過ごしたという選手だが、その道程は平坦ではなかった。入団した当初は強力なライバルが居て、ヤシンの出番はすくなったのだが、そのライバルの怪我で巡ってきたチャンスをモノにして、代表にまで一気に上り詰める。58年・62年のワールドカップでは大量失点のこともあり、評価は上がらなかったものの、そこから才能が一気に開花。64年で喫したリーグ戦の失点は27試合でわずか6。その年のFA100周年試合ではイングランドの猛攻を凌ぐということをやり、これがパロムドーム獲得につながる。国際大会的にも第1回のヨーロッパネイションズカップ優勝(後のユーロにつながる)、第2回のヨーロッパネイションズカップ準優勝にも貢献。70年のワールドカップでも控えの立場ながらメンバー入りをして、そのまま引退。90年に死去。20世紀の偉大なる選手GK最上位、20世紀最優秀GK、20世紀ワールドチーム(フランスワールドカップの時に記者投票で選ばれたオールタイムレジェンドチーム)のメンバーに選ばれるなど、今の偉大なる選手のひとりとして名前が上がっている。
 (*5)ゼップ・ヘルベルガーがモデル。戦争によって荒廃したドイツをワールドカップ優勝にまで導いた名将で彼の教え子にはクラマーやバイスバスラーなどの有名監督もいる。ナチスドイス時代の選手でもあり、引退後もチームのコーチとして携わる。1936年からナチスドツの代表監督に就任して、さらに戦後には新生ドイツの代表監督に就任。国際舞台復帰から6年であのマジックマジャールを破ってのワールドカップ優勝にまでチームを持っていく。14年にわたって(ナチスドイツ時代を含めると20年)ドイツ代表を牽引した後は、ケルン大学の教授として教鞭を振るった。

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