ClubU
(18年目・世代交代を見据えたクラブの見方・多少のズレは勘弁して下さい)
 仮にこういうチームがあるとします(元・前に作ったチームを元に色々と改造したもの)

 横浜マンティス
 19年目 スタジアム・クラブハウス マックス 資金 600億
 基本システム 3−5−2 戦術カウンター
 監督 ジュリオレーノ スカウト ギマラネス
 留学先 初期横浜(初期+メデジン+ボコタ)+ラゴス・ヤウンデ・ポルト・リスボン・モナコ・ポルトアレグレ・ブレーメン・グラスゴー・モンテビデオ・ロサンゼルス・ザグレブ

 メンバー
 GK 
 チラバート 32 ヤウンデ2年
 河本 龍将 24 ヤウンデ2年

 
DF
 甲斐 純哉 23 ヤウンデ2年
 森崎 敬 33 ヤウンデ2年
 玖珂 次郎 34 ヤウンデ2年
 奥村 辰彦 20 留学前
 紅池 流星 21 グラスゴー留学中

 MF
 リバルト 26 ポルト2年
 多古 真一郎 27 ポルト2年
 立浪 重則 27 ポルト2年
 海堂 大 35 ヤウンデ2年
 星野 光 24 プラハ2年

 ポサンダーテ(*) 22 ラゴス2年 帰国後育成中
 ルイース (*) 16 今年加入
 
FW
 東条 英虎 33 ラゴス2年
 高杉 和也(特E)33 ラゴス2年
 河本 鬼茂 21 ラゴス留学中

 デルベーネ(*) 19 去年入団育成中
 水原 清史 23 控え
 那智 清隆 20 ラゴス留学失敗→ポルトアレグレ1年留学

 
 スタメン

   東条     高杉

 リバルト 立浪  多古 

    海堂   星野

    甲斐純  森崎

       玖珂

       龍将

 この状況ですが、松並 16歳とアデマール(*) 20歳とフォーリット 17歳が同時に出てきてしまいました。できればどちらかを取りたいのですが、その場合誰を着ればいいのでしょうか。またなにかあればアドいバスをお願いします。

 と言うチームをがあるとします。(元は自作のチームでメンバーはこのとおりです。ただし年齢と留学地は一部不明だったので改めて入れなおしています)これを参考にしてチームを見てアドバイスを貰うもしくはすることを鑑定と言います。2002当時は結構公式BBSではひとつの質問として流行っていたのですが、最近ではあまり見かけなくなったことなのでチーム作りがままなっていないケースというのが多々あります。ので、自作のチームを利用してみてみたいと思います。

 1、まず気になるのは新人加入よりも那智の留学失敗という点です。ラゴス留学失敗という状況が、この後の目論見を完全に壊してしまいました。3―4―3への移行を考えていた時期だったので、那智が留学に失敗するとかなりの部分で方向性がおかしくなってしまいます。デルベーネを入れたのも3−4−3を意識してFW3人に強力なつながりを求めた結果。偶然出てきたベルベーネ(萩原系)に白羽の矢が立ったといういうことですが、かなり厳しい状況になってしまいました。というわけで那智は使っていきながらということになると思うのですが、それだとするとスタメン二人がかなり邪魔になります。しかも二人共普通Cなので、まだまだ成長しますし、もっと言えば鬼茂がクールダウンしかかった時にようやく出番という形になると思いますので、ややちぐはぐになるのは否めません。そういう意味で言えばちょっとまずかったかなあという印象はあります。

 2、中盤は年令的なことを言えば海堂が成長的に限界なので、立浪を移動させて開いたところにはリバルトを移動させるかポサンダーテを移動させるかのどっちかになります。しかし問題なのは多古。反則王と呼ばれるぐらい退場が多いので本来だったらスタメンに出せない選手の1人だと思います。(個人的に言えば3−4−3の以降もこの多古のせいです。なにせこいつ退場→出場停止→イエローカード→イエローカード→退場→出場停止→イエローカード→累積出場停止なんてことをやらかした過去があるので)本来だったら星野の代わりとして専門ボランチがほしいところでフォーリットがいますので獲得したいところですが……ルイースを獲得してしまったことを考えるとスルーでいいかもしれません。頭は心配ですが立浪がいますので。むしろ松並は獲得したほうがいいと思います。中盤の年齢がかなり詰まっているので。

 3、世代交代は東条→鬼茂・高杉→デルベーネ・海堂→立浪→ルイース・多古→松並・森崎・玖珂→紅池・奥村になるでしょうか。だとするとセンターバックが一枚足りません。奥村は優秀なDFではありますが左サイドバックとウイングなのでどちらかと言えばリヴァルトを中央に動かしてそこに入れたいぐらいの選手です。ボランチも不足しているので1人は欲しいところ。

 4,唯一留学地としてないアスンシオンはチラバートの引退を待つよりも、テバレスを待ったほうがいいのかもしれません、切る候補の第一候補はチラバート・水原清史・那智あたりが一番手。ただしチラバートはテバレスが来るのが切る条件になるので後ろの二人が着る条件になります。ので外国籍二人の加入は今回は見送り。

 5、奥村・紅池がいるのであれば、4−4−2に変えてしまうのも手。4−3−3だと中盤の人材が溢れてしまう可能性があるので、リヴァルトを3トップの一角に入れてもいいかも。
 4−4−2だったら、星野と玖珂をダブルボンランチにして、将来を

     鬼茂    デルベーネ

  リバルト           多古

     星野     玖珂

  奥村            紅池

     甲斐純   森崎

        龍将

 と言う形そ想定して、チラバートを切ってフォーリットを入れる。多古の位置に松並、森崎の位置にフォーリット、玖珂の光景に当座として立浪にして絶対的補強ポイントとしてセンターバックからボランチを探す。状況次第ではルイースも切ったほうがいいかも。

 4−3−3だったらリバルトを3トップの一角に入れて、那智がとりあえずの緩衝材代わりとしてとして育つまでのフォロー役に徹する。デルベーネが留学から戻ってくればそれを入れ替えるとして

     鬼茂    デルベーネ

        リバルト

        ルイース

    星野      玖珂

 奥村                紅池

    甲斐純    森崎

        龍将

 こんな将来図がかけると思います。とはいえやはりこれでも玖珂と森崎のところに急速な後継者が必要になります。しばらく攻撃力が落ちるのを仮定して、高杉を作りなおすのもいいかもしれませんしボランチを一枚にしてもいいかもしれません。そうなると中盤は星野・多古・ポサンダーテ・ルイースのローテーションである程度安定します。そうなると必要になるのはボランチ。両方に共通して言える点で右センターバックかセンターバックそれとボランチは必須ということになると思います。その代わりFWとOMFは苦労するところまではいきませんが。

 チームの方向性に迷ったときはチームメンバーを紙に書いて、いったん立ち止まって考えてみるといいと思います。例えば今いるメンバーだけで5年後のチームを想像してみるとかなり穴ができていることがわかると思います。とくにほとんどは年齢がなれていない状態で、成長型が同じなんてなると状況によってはどっちかを切るなんてこともあるわけです。そういうことを考えると、どっかで考えることが必要だと思います。

 で、翻って今のチームを見てみますと
 ブリッツ磐田
 18年目 スタ・クラ マックス 資金 480億
 監督 ゼルベルガー スカウト 富士 美喜男
 基本システム 3−4−3 基本戦術 ポストプレー
 留学先 初期+ラゴス・ポルト・リスボン・ブレーメン・ザグレブ・アスンシオン・ロサンゼルス

 メンバー
 GK
 三神 尚紀
 楢崎 正剛 アスンシオン留学中再来年末帰国予定

 
DF
 モルセン ブレーメン2年
 岬 健二 ブレーメン2年
 森崎 敬 無留 引退待ち
 萩原 忠志 ブレーメン2年
 御厨 親典 今年末ブレーメンに留学予定
 玖珂 次郎 来年末ポルトかブレーメンに留学予定

 MF
 星野 純 ポルト2年
 新谷 友樹 リスボン2年
 高杉 和也 ラゴス2年
 海堂 大 ラゴス2年

 
FW
 ルンゲ K ラゴス2年
 ストニコフ 今年末ラゴス留学出発予定
 山土巣 大鳥 ラゴス留学中 今年末帰国予定
 阿見 達也 ラゴス1年
 野毛 秀樹 ラゴス1年

 *玖珂はボランチへポジションチェンジする予定、御厨・海堂はポジションチェンジ済。

 スタメンは3−4−3で、

     野毛        阿見

          ルンゲ
  海堂              高杉

     新谷        星野(*)

     萩原        モルセン

           岬

          三神

 と現状は殆ど変わりません。星野は途中から玖珂に変わります(理由は下の文に)がセンターバックはモルセンか萩原をたまに御厨と入れ替え。FWは怪我が多いのでその時にストニコフと交代してストニコフにはその時にはフリーキックを任せます(一応世界屈指のプレースキッカーという評価になっているのを確認済み)通常は新谷がフリーキックと常時コーナーキックを蹴ります。キャプテンは現段階ではずっと岬に固定。そのキャプテンの後継者は玖珂ですが、能力開花してしまう可能性を考えるともう一人欲しいところ。光景は三神→楢崎・新谷→玖珂・萩原→御厨・野毛・阿見→山土巣・ストニコフときているので次は海堂のところを探すことになります。しかし、求めている人材と現実がかなり乖離しているのが悩み所です。システム自体は今更変えなくてもいいでしょう。変えるとすればかなり面倒くさいことになりますし。

 条件とすれば
 連係・萩原型・東条型
 出来れば息の長い選手
 左サイドハーフとしての適性の高い選手
 欲を言えば16歳
 が、あげられるのですが04のように直接取れるわけではないので、まあ、出来ればという形になると思います。今になって思えば5月に出てきた奥村 20歳(年齢と連係は外れるが息の長い活躍ができる上にモデルが左サイドならどこでもできる万能性が強みで、オールタイムレジェンドを作るなら長友とスタメンを争うかもしれないぐらいの人物だし)を獲得すればよかったのかもしれませんが……
 留学予定にいきなりミスが出てしまう。きっかけになったのはトリノ(ユベントス)からのオファー留学にOKを出してしまったこと。これで星野を出してしまうこちになる。時期は夏なので戻ってくるのもその辺り、故にストニコフが御厨の留学が短くなるのが確定。ちょっと読み間違えたのがかなり痛い。(結局ストニコフを短くすることに……)

 前半戦は2戦目のセレッソ戦で1−3の敗戦。しかしこの配線がきっかけで急に得点力が目覚める。ブリト(*)率いる神戸(ブリトに2点決められて危うく)と福岡(延長線まで持ち込まれる)と広島(開始数分に先生もその後はずっと責められっぱなし)相手にには思わぬ形で苦戦を強いられたものの、それ以外は持ち前の攻撃力がチームを突き動かす。4点以上の試合が5つでたのが攻撃力の強さを物語る。ただステージ的に言えばあわよくばこの状態でも優勝できなかったかもれないというオチが付く。広島戦に勝って首位にたってから残り5節は入れ替わりの激しい首位攻防戦の連続。終わってみればブラジル人トリオが健在の山形が、リッチョも鹿島も磐田も撃破して一気に迫ってくる。直接対決は3―1と退けたが、結果的にはこれがほぼ優勝という形に。このステージはリッチョ戦を前にして優勝が決まった。

 セカンドステージは今回もリッチョ無双。無敗で来ているのだが、それ以上に完勝に近いことをリッチョはやっていてまったく追いつけない。そういう意味では札幌戦の引き分けと、鹿島戦の延長戦(2−1で決まりかと思った瞬間のロナルドに同点ゴールを決められた)勝ちがかなり重くのしかかっている。前半戦も負けそうな試合を拾えたのはルンゲKの大爆発のおかげ。ハットトリックを含む4試合連続ゴールは、問題のあるチームを救ってくれた。そのままの流れで鹿島戦でようやく首位に。しかしリッチョからは離れられず、最終節の直接対決でかろうじて引き分けて(しかも前の試合で高杉が退場になってストニコフを入れることになった。そのストニコフのゴールでなんとか優勝に持っていった)ようやく優勝を掴んだ。

 カップ戦はリーグカップは2回戦のガンバに延長戦まで持っていかれるも辛くも勝利。3回戦の名古屋戦が嘘のような圧勝とかなありチグハグするような状態。準決勝にいたってはブラジルトリオを擁する仙台で初回は0−1で負け。MVPが来た2戦目はなんとか2−0で逃げ切っての勝利。決勝は福岡に対して圧勝で優勝。ニューイヤーカップは準決勝(セレッソ)・決勝(また福岡)相手に連続でPKに持ち込まれるも辛くも勝利。この年は三冠を得ることができた。海外の方はワールドカップウィナーズカップだけに出場。相手関係が弱かったので、圧勝で優勝をもぎ取った。

 5月に世界ランキングを確認したら、ついに三神がGK部門で1位を獲得。11年目に20位にランクインしてから徐々に順位を上げるもののここ3年の最終成績は4位どまり。上3人が固定されているほどだったんだけど、ようやく1位を獲得して、条件一つクリアーという形に。このところ衰えが見え始めてきているだけに、楢崎が戻ってくるまでが勝負の年になりそうだ。その他では岬が前のように高い順でいいられることが少なくなったのと、相変わらずマルティニが目の上のたんこぶ状態の萩原。前線組はランキングに続々と入ってくるものの、上位に行くには至っていないのがかなり痛いところ。一応3トップの3人、新谷以外のMF陣はランキングには入っているけれど、上位は無理かもしれない。世界の中で超一流といわれる能力を持つ野毛でさえ15前後だし、その野毛と変わらない能力を持つ高杉でさえ10位だし。(さらに10月に萩原の1位を獲得を確認

 そして12月の最後にビックニュースが飛び込む。ピクシーことズドラブコビッチが17歳で登場。で、即獲得。海堂の後釜は完全に彼で決まったといってもいいだろう。それと同時に大きな決断を二人の選手にしなくてはいけないことになった。1人は森崎。今年ついに引退。2年目から加入して留学なしでチームの中心になって活躍してくれたものの、ここ数年はモルセン・萩原に押され控えの生活が続いていた。(あくどい考えだけど、こっちとしてもギリギリに近いタイミングでの引退だった)16年間ご苦労様。それともう一人は阿見。山土巣が帰還をして、ほぼ同能力に近い阿見は来年からスタメンを外れることが確定的に。となると放出要員にするか、それとも戦力外にするのかかなり迷うことになるのだが、まさか来年の頭に彼にも一段転機が訪れるとは……
 18年目終了時点での状況
 資金 560億5269万円
 GP 9人
 FP 7人 (ズトラブコビッチ加入)
 F・FP加入人数 16人
 2月11月カップ戦制覇回数 12回
 選手ランキング最上位 三神 1位(*)
 殿堂入り選手 5人 (ルンゲK追加)

 達成条件
 F・GP 加入人数
 FP 国内選手加入人数 4人以上
 最少失点記録
 選手ランキング1位
 2月11月カップ戦制覇回数 10回以上


 未達成条件
 グレートクラブカップ制覇
 最多得点記録
 殿堂入り選手 11人
 (3−4−3)が条件
 資金2000億円

 (*)ホセ・アンドラーデがモデル。戦前の名選手の1人で、当時白人選手が主流だったサッカー界に登場して驚異的なドリブルでウルグアイをパリオリンピック・アムステルダムオリンピック・第1回ワールドカップを優勝に導いた。
 (*)ルイ・コスタがモデル。フィオレンティーナ時代にはバティストゥータとコンビを組み、数多くのゴールを演出したゲームメイカー。ポルトガル黄金時代を代表する選手で、その能力は強者揃いのセリエAでも上位に入るものだった。しかしフィオレンティーナ破産の余波を別な形で受けることになってしまう。フィオレンティーナ破産後はミランへ移籍。そこでも主力として活躍をするのだが、日韓ワールドカップではケガでコンディション崩し出番なし。さらにカカの台頭で出番をなくしていって、これが彼自身のベンフィカ移籍の呼び水になってしまう。古巣ですベンフィカで2シーズンプレーした後に引退。引退後はベンフィカのテクニカルディレクターに就任。
 (*)デル・ピエロがモデル。ゴール前左45度のゾーンはデルピエロゾーンと呼ばれるぐらいの決定力の高さ、さらにその甘いマスクから世界中で人気を得たイタリアのフォワードの1人。辛口で知られるクライフも褒めるほどのストライカーで、ある意味ユベントスの象徴だったのだが、今はそのユベントスを離れオーストラリアでプレーをしている。また人格者故にイタリア代表でのトッティとの背番号争いの時には自ら10番を譲るなどのエピソードもあり、それ故に堕ちたユベントスが一年で表舞台に戻ってこれる原動力にもなるなどある意味ユベントスの中では史上最高選手といっていいほど。
 キャリアのスタートはユベントスではなくセリエBのハトヴァ。公式戦では2年間所属して1ゴールという成績だったのだが、ユベントスに移籍後に才能が開花する。ゴールをあげ続け、調子が落ち気味のバッジオに変わってスタメンを奪取する。さらにこの頃からプレーの奔放さもあり、ファンタジスタの一員として認められるようになる。バッジオがミランへ移籍してから、背番号10をつけることになり文字通りユベントスの象徴として、イタリアの象徴として活躍することになる。
 しかし膝の十字靭帯を切るという選手生命を脅かす怪我から復帰した後、不運が付き纏う。怪我にはさんざん悩まされ続け、イブラヒモビッチにスタメンを奪われることも。しかしそのたびに自分の実力でそれらの不利を弾き飛ばしていった。しかし今度はカルチョ・スキャンダルがチームを襲う。普通に考えれば、デル・ピエロクラスであればすぐに出て行ってもおかしくなかったのだが、ユベントス残留を表明。これに他のチームメイトも残留を表明してこれがユベントスのセリエA復帰を1シーズンで済ませる原動力になった。しかし自慢の得点力が年々落ちていって11―12シーズンではついに3得点しかあげられず。結果的にこの年をもってユベントスを退団。オーストラリアに渡ることになった。
 これだけの活躍をするのだから当然代表レベルでも活躍。各年代の代表にも選ばれたのだが、浮き沈みがかなり激しかった。初めて出たユーロは最初の試合で怪我をして離脱。フランスワールドカップでも怪我に泣かされ主役(皮肉にもバッジオ)交代。この間にトッティが台頭して背番号論争が起きる。日韓ワールドカップではシステム上の関係で本番になってスタメンを外されるがチームを救う同点ゴールをあげる。その後イタリア代表はスランプに陥る中で孤軍奮闘。ユーロ出場の原動力になるのだが、そのユーロで左サイドをやらされることになってしまい苦戦をする。ドイツワールドカップではドイツ戦でゴールを上げた。イタリア代表の苦闘の時期を歩んできただけにその価値はかなり大きいと思う。
 大の親日家として有名で、しかもかなりの所で縁が深い。東日本大震災の後のチャリティーマッチには自ら出場を志願して出場してゴールを決めたり(日韓ワールドカップの時のイタリア代表のキャンプ地が仙台だったことも影響はしているが)、新日本プロレスのファンで対談中に技をかけられたり、ルパン三世のファンだったりとエピソードに事が書かない。
 (*)アデミール・マルケス・メネゼスがモデル。1950年代のブラジルを代表するストライカーで、全ての点において世界最高といえるほどの能力を持っていた。地元で行われたワールドカップでもその得点力の高さを遺憾なく発揮して得点王に輝く。とくにシュートが強烈で「ズドン」という音がするほどの威力だったことから「魔法の砲兵」という二つ名があった。しかしこの大会だけに採用された2次リーグ総当りというシステムのせいで、ウルグアイに「史上最大のアップセット」を提供する形で敗れてしまい優勝には手が届かず。
 (*)ベベットがモデル。背が高くないものの抜群のスピードでそれを補ったストライカーで、さらにチャンスメイクもできたことから、数多くとのストライカーとの相性もよく、ロマーリオとコンビを組んだ94年ワールドカップでは優勝の原動力にもなった。しかしクラブシーンでは数多くのチームを渡り歩く。各リーグや大会で得点王に輝き南米の年間最優秀選手をもとっているのに、目立たないのは組んだ相手が時代を代表するストライカーだからか。ブラジル・メキシコ・スペイン・サウジアラビア・そして鹿島。鳴り物入りで鹿島にやってきたのだが、結果が出なかったゆえに4ヶ月で退団をしている。
 (*)一応の基準は12月終了の段階でのランキングで。これに三神が初めて残ったことからこれで達成とします

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