Japan
(24年目・インターナショナルカップ本戦)
 代表監督最終年となった今、それでも相手は強力な壁になって立ちふさがる。相手の強さを知るという意味でヨーロッパチャレンジカップに出場。メンバーはとくに入替えもせず。というかほぼ固定。

 スタメンはそれでもシステムをちょくちょく入れ替えているので、こんなかんじに。グラフ的に与那嶺を入れたほうがいいようなので、とりあえず入れているけれど、ここは立浪でもいいのかもしれない。

      山土巣     水城
           高杉
     名波        与那嶺
       玖珂     星野
       御厨     萩原
           岬
           楢崎

 1回戦はいきなりフランス。しかもスタメン11人中9人が有力選手というある意味優勝候補筆頭と言わんばかりの陣営を揃えてきた。ピエール・デュキャナン・カンター・コブ・プチン・デュダルシャン・ドサイー・デュラス・アムノロス(*1)が入ってきていきなりの惨敗を覚悟したのだが、試合は先制点をこっちが獲得してから、一気に有利に。終わってみれば3−1でおしきってしまった。

 2回戦はオランダ。ベルバーグ・キースケンス・フォーリット・クルーマン・サードカンプ・ファンサール等がいるが、集まっているメンバーはフランス比べると一枚落ちる感じ。2−0で勝利。

 3回戦はイタリア。ファッケットーにバンチがいるという完全守備のチームでありながら、今回は攻撃も揃っている組み合わせ。苦戦するかと思ったのだが、山土巣が奮起をして2−0で勝利。優勝に大きく近づく。

 4回戦はクロアチア。攻撃陣はおそらくこのゲームの中ではトップクラスのタレントを揃えるという(スカル・ボバシッチ・ボロン・プロシキ)事をやってのけるのだが、守備陣がやや悪く、さらに攻撃陣で中心になるべきラビチェビッチがベンチ。ここも2−0で勝利。

 5回戦は大一番のドイツ戦。ミューレン・クリスチャン・シェスター・メイヤー・バウアー・マティアス・フェルター・メーヤーとタレントを揃え、大敗を予想したのだが、以外にもスコアレスドロー。あの試合のような状況(*2)にならなかっただけマシか。

 6回戦はスゥエーデン。本当にイブラヒモビッチがまだ表に出ていないで助かったという陣容。しかし何故かここが一番の苦戦。終了間際に決勝ゴールを上げて2−1での勝利。

 最終戦はスコットランド。04では世話になるラーがいてその他のメンバーもなかなかの能力持ち。しかし相対的に穴があるように思える陣容でもある。2−0で勝利をし、優勝カップを手にすることが出来た。
 (クラブ・ファーストステージ)この年からさらにスタメンに手を入れていく。ラゴスは使い潰しが決定的だが、年俸の関係上今年は試合に出せない。しかし海堂も今年が契約上は最終年なために手が出せないとなると今年限定で御厨を本来の右サイドに持っていくしかない。セカンドトップの位置には去年殿堂入りをした高杉。立浪は左サイド。ボランチの2人は変わらず、センターバックの底は長年岬の独壇場だったが、今年からキャプテンマークとともに留学から帰ってきたマリウスに移動。岬・萩原・森崎の3人で残り2つの席をローテーションしていく感じになった。

 スタメンはこんなかんじになる

     ルンゲ     山土巣
          高杉
    立浪         御厨
      玖珂    星野
     萩原      岬
         マリウス
          楢崎

 補強ポイントは三神の引退による補強枠が1しかないので国内FW一択。Jリーガーでも海外に言っている選手でも何人かGPクラスの実力を持っているので、16歳で出てきたら獲得したいところ。しかしそれ以上の問題が発生。ここに来て得点力が急激に落ちてしまうということが起きてしまう。理由はおそらく予想以上に早かったルンゲの衰え。今までステージの得点ランキングの上位にまで顔を出していたルンゲがファーストステージ終了の段階で4点しか取れておらず、山土巣はもちろん高杉にも劣るという状況。しかも高すぎが怪我をしてしまいその代償として年報半減を考えていたラゴスを出さざる負えないほど。

 マリウスを中心とした守備陣は踏ん張るものの、例年以上の強さはやはり感じられない。ぎりぎりの踏みとどまりという点では強力なものを感じるのだが、2つの負けと2つの引き分けではさすがに苦戦は予想される。結果的に最終節まで優勝争いにもつれ込みなんとか勝ったものの、去年のファースト・ステージの総得点に比べると15点も落ちている(去年38点。今年23点)という衝撃の状況に。本当ストライカーが来て欲しいところだ。とは言え来ているのが西方25だけじゃどうしようもないというのが現状なのだが。郷校はこんな状況でありながらここ数年の前半戦では収益がいいこと。一気に900億突破という状況になったのはいいんだけど、2000億条件が先か、総得点が先に達成するのかわからない状況には変わりがなかったりする……一応カップ戦は無事に3回戦突破。

 (本番)そしてインターナショナル本番。最終メンバーは少し入れ替えてこの16人に決定。
 (注:Jリーガーは2002の当時の所属チーム。楢崎だけは自分のチームの一員です)

 GK 楢崎 正剛 磐田ブリッツ
 DF 岬 健二 磐田ブリッツ
    萩原 忠志 磐田ブリッツ
    森崎 敬 磐田ブリッツ
    御厨 親典 磐田ブリッツ

 MF 玖珂 次郎 磐田ブリッツ
    星野 光 磐田ブリッツ
    名波 浩 ジュビロ磐田
    奥 大介 ジュビロ磐田
    小笠原 満男 鹿島アントラーズ
    高杉 和也 磐田ブリッツ
    ラゴス 武威 磐田ブリッツ
    立浪 重則 磐田ブリッツ

 FW 山土巣 大鳥 磐田ブリッツ
    水城 知宏 サンフレッチェ広島
    水原 清史 サンフレッチェ広島


 いくら自分のチームが中心だとはいえ16人中13人が磐田のチームってどうなんだろうと思いますが……FWが圧倒的に弱いですが、高杉を上げておけば問題はないと思います。奥と小笠原はこの二人と与那嶺・金子と比べた時に能力が若干上回るので起用します。奥の方は萩原型ということもありますので、あいた与那嶺の位置に入ることになります。

 スタメンはこんな感じです。

    山土巣       水原
          高杉
   奥             立浪
     玖珂        星野
     萩原        岬
          御厨
          楢崎

 初戦の相手はチリ。よりにもよってササコンビにフェゲーロ(*3)がいるという最強仕様。勝てないかと思ったのだが、3−1で勝利。先制されたのだが、前半のうちに逆転→突き放し。ぜんはんだけで勝負がついてしまった。

 第2試合はモロッコ。ハジがいるので油断はできないが、全体的に見ればチリよりは組みやすいか。4−1で勝利。同点に一回追いつかれるも、先制点を上げた水原・玖珂・立浪と連続ゴール。一気に突き放した。

 第3試合は旧ユーゴ。ピクシーこそいないが、ジェイッチ・ビハイロビッチがいる強豪。そしてリセット地獄の始まりというか、ここでは負けても良かったんだけど、なぜかリセットを繰り返してどうにか引き分けに持ち込むのがやっと。しかしこれがリセット地獄と呼ぶのにはどうでもいいような戦いが待っていた。

 決勝トーナメント一回戦。よりにもよって一度も当たっていないアルゼンチン戦。相手スタメンが
 GK ショール
 DF パサーリャ・ソテロ・サンスーニ
 MF アラビレーズ・シモーネ・レドルー・シボレ・ベーレン
 FW デステファン・ケンダル

 で控えのFWにバティスタが居るというなんでこういう陣営になったんですかという組み合わせ。当然グラフも一回り違うまさに優勝候補。それ故に何度リセットを繰り返しても勝てない。結果的にあまりしたくなかった介入をすることに。システムは4−5−1に。これで前半を1−0で乗り切って乗り切ってここからが勝負。これでもリセット2回を余儀なくされて、最終的には逃げ切り。おそらくリセット回数は圧倒的に一番多かったと思う。FW二人はともかくとして、中盤も世界レベルのメンバーが居るチーム故に大苦戦はどうなのよという感じだったけど。

 この時のスタメン

         高杉
    小笠原    山土巣
   奥     立浪   星野
     御厨  玖珂  萩原
          岬
          楢崎

 二回戦目はイタリア。2月で対戦済みだけど本番モードはランクが少し上がる、ただ前回闘ってのスタメンメンバーなので負ける気はしないと思ったのだが、ここでもリセットを余儀なくされる。とはいえ一回だけ。2−2でPK戦まで持っていかれるが、ここではCPUのドフをキッカーの一番手にするという謎采配のお陰で、PK5−4での勝利。そのドフが外してくれたのが大きかった。

 準決勝はイングランド。全体的に見ればまだイタリアに比べれば隙ありだが、その隙をぶち壊すレベルでの高い攻撃力を持っている。当然リセット回数も多くなるが、延長ゴールデンゴール負けをした試合が前半の段階で2−1だったので、その試合に介入。オーフェンに点を決められたものの、その後に奥が取り返してくれてそのまま試合終了。決勝進出。

 決勝の相手はナイジェリア。今までの相手から比べるとグラフ的にも他の3チームよりは明らかに格下なものの、タレントは攻撃陣に多く揃っている。そのおかげが後半の途中までは3−0と大幅なリードを奪う。しかし残り10分で2点を決められるという展開に。ただそれ以上は得点が動かず。そのまま地元開催のインターナショナルカップ優勝を決めた。

 (セカンドステージ)インターナショナルカップの優勝の勢いそのままに後半戦もうまく行きたいところ。開幕戦は圧勝。このまま行くかと思われたのだが、2戦目に延長負け。この後は苦戦はしないものの、違和感を覚える試合が続く。その理由はルンゲ。前半は4得点しかあげられなかった彼が後半戦の序盤では爆発をしてくれたものの、中盤になってからまた鳴りを潜める形に。その変わりそひたのが山土巣インターナショナルカップでチームのラストゴールを決めた勢いそのままに、得点を重ねていく。ハットトリック2回、4得点1回、5得点1回と無双状態。それまでは得点力が感じられなかった部分もあったわけで、覚醒という意味では大きかった。シーズンの方はそれでも勝ち切れないまま延長に突入される試合が後半に起きてしまい、最終節までもつれ込む。最後の神戸戦で山土巣が4得点の爆発力を見せ、優勝を無理やりもぎ取った。リーグカップは札幌戦で1−0があって、敗れるかと思ったのだが、攻撃力が爆発。FW不足のリッチョを抑えこんで優勝。

 (再び代表戦)すべての戦いが終わったかと思ったらまだ1つだけ戦いが残っていた。インターチャンピオンズカップ。世界中から強豪を集めたトーナメント戦。メンバーはインターナショナルカップと同じメンバー。で、いきなりブラジル戦。最初は勝つつもりがなかったので、そのままにしておけばいいかなあと思って少しだけいじって放置したら、水城の2ゴールでなんとかという形にはなるが勝ってしまう。しかし次のイタリア戦では苦戦。本番では控えだったトットが登場。攻撃力に厚みがましたイタリアは持ち前の守備力もあり大苦戦。する予定のなかった練習を入れて、更にシステムを組み直したらすんなりと撃破。決勝戦はドイツ。こっちはメンバー変わらずも、リセット一回を余儀なくされた。なんとか2−1で下す形で代表戦全タイトルを獲得。後半はリセット地獄故にもう二度と代表戦はしたくない。

 (ニューイヤーカップ)完封で優勝。特に記録することもないほどあっさりとしすぎた。

 一年通じて終わってみればクラブシーンの方は完全3冠という結果になりました。代表戦の方は本戦と最後の戦いで苦戦する結果になりましたが、一応タイトルを獲得。これで代表戦とは縁がなくなると思います。で来年からはいよいよクラブの最高の戦いの火蓋が来られます。運がいいのか悪いのか今年は引退希望の選手がいませんでした。戦力外通知をしたい選手もいるのですが、今回はそういうのはポリシーから外れているので現状このままで行きます。しかしこういう時に限って点数が取れなかったり、逆に過去最高のステージ得点が出るというのはどうなんだろうと思うのですが。殿堂入りに一人追加。マリウスが殿堂に入ってきたんだけど、21歳で成長途中、FWではないことを考えると単なる嫌がらせかと思ってしまう。

 24年目終了時点
 資金 951億5053万円
 獲得選手
 FP 三神・岬・萩原・御厨・マリウス・野毛・ピクシー・ルンゲK
 GP 屋村・森崎・海堂・玖珂・モルセン・新谷・与田・星野・甲斐純哉・山土巣・ワルサー・阿見・ストニコフ

 達成条件
 年間最少失点
 個人ランキング1位
 F・GP 加入人数 15人
 FP国内選手 加入人数 4人
 2・11月カップ戦制覇回数


 未達成条件
 資金2000億
 年間最多得点の更新
 殿堂入り選手11人
(3−4−3の形で)
 グレードクラブカップ制覇

 参考:殿堂入り選手 11人
 三神・楢崎・岬・萩原・モルセン・マリウス・新谷・星野・玖珂・高杉・ルンゲK

 2年目以降24年目までの成績(J1リーグ戦のみ)
 リーグ制覇回数 21回

 総得点 1401
 総失点 340

 シーズン最多得点 24年目セカンドステージ 49
 シーズン最小得点 2年目ファースト・ステージ 12
 年間最多得点 20年目 87
 年間最小得点 2年目 29

 シーズン最少失点 11年目セカンドステージ 
 シーズン最多失点 2年目ファースト・ステージ 16
 年間最少失点 11年目 
 年間最多失点 2年目 26

 シーズン無敗回数 13回
 シーズン15戦・延長なしでの全勝 1回(17年目セカンドステージ)

 (*1)紹介しきっていない選手の一部をまとめて紹介
 カンター→カントナがモデル。ジダンの前のフランスを代表する選手で、現在は俳優。サッカー選手として規律を守らないという問題はあったが、卓越した技術で所属していたチームに何度もタイトルをもたらした。しかし母国フランスでは好き嫌いが極端に激しい人たちが多く、そのため一回引退はするもイングランドに行くということで現役復帰。リーズとマンチェスターUで活躍をしたのだが、持って生まれた気性の荒さは治らず、相手サポにカンフーキックをお見舞いして8ヶ月の出場停止になったことがある。もっともこのサポも後に大問題人物だと発覚がして1年間スタジアム出入り禁止になっているのだが。
 コブ→レイモン・コパがモデル。サッカー界を語る上で欠かせない選手の1人で、今でいうフランスの将軍の系図の走り。フォンテーヌが1大会あたり最多得点を上げた有力なパートナーの一人として名前が上がることが多い。キャリアハイだった頃がレアルの時代だったので、レアルでのキャリアが長いのかと思われるのだが、そこから移籍をしたソショーでの活躍期間のほうが多かった。
 ドサイー→デサイーがモデル。ガーナ出身。マルセイユ時代にフランスリーグの優勝を経験しているが、マルセイユの八百長事件のせいで優勝が剥奪(CL優勝は認められた)されている。直後にミランへ移籍。ここでもCL優勝を体験し、初めて別リーグでの2年連続CL優勝の経験をするという選手になる。その後チェルシーに移籍。更にはカタールにも移籍をした。
 ベルバーグ→ベルカンプがモデル。インテルでは成功しなかったが、アーセナルに移籍して大爆発。引退するまでアーセナルの象徴として活躍をする。ワールドカップフランス大会のアルゼンチン戦で、決勝ゴールを決めた時のカウンターパスからの一連の流れは伝説のゴールの一つとなっている。
 ファッケットー→ファッケッティがモデル。今でいう攻撃的サイドバックで、サイドバックでありながら75ゴールも上げたインテルの象徴。彼がいる間に優勝9回・カップ戦1回・インターコンチネンタルカップ2回という成績を残している。引退後はインテルの会長職も務めたことが合ったのだが、2006年に死去。
 ボバシッチ→ボクシッチがモデル。187センチの身長と多様なテクニックで独立直後のクロアチアを引っ張ったストライカー。しかし怪我が多くフランス大会では欠場が決まり、その時には日本の関係者をぬか喜びさせる(このクロアチア戦でスーケルが覚醒してしまうため)結果を作ることに。剛柔のドリブルを使い分けることが出来たのだが、簡単なゴールを外してしまうということも。

 (*2)ドイツワールドカップ直前に行われた日本対ドイツのテストマッチのこと。レバークーゼンで行われたこの試合は、後半になって試合が動く。当時ハンブルグの選手だった高原の2ゴールで一気にリードを奪う。ドイツ側はここから猛攻を仕掛けセットプレーから2点を奪い返すも、結果的にそのまま試合終了という試合。この試合で自身をつけたとされる日本は本番では、どうしようもない状況になってしまった。オーストラリア戦は誤審のせいもあり1−3で敗戦。クロアチア戦では引き分け。ブラジル戦は玉田が先制点を上げるものの、それに火をつけてしまったブラジル代表に猛攻を食らい1−4の大敗。期待から地獄へ突き落とされた状況だった。それゆえに「ピークをこの試合に持ってきた」と言い張る人もいるほど。

 (*3)紹介していない選手の一部ををまとめて紹介
 フェゲーロ……フィゲロアがモデル。チリの伝説の選手の一人。現役時代はヨーロッパに渡ることはなかったが、南米各地で多数のタイトルに絡む。代表としてもそのリーダシップでチームを引っ張りワールドカップに3度(66・74・82)出場。しかしその三度も、一回も勝てないまま大会を去っている。
 ハジ……ハッジがモデル。モロッコのストライカーで弟も代表選手。フランス国籍もとれたので代表になれる可能性があったのだが、モロッコを選択。フランスワールド大会にはモロッコ代表として出場。ヨーロッパ各地のチームでプレー。横浜に来たのは2トップの一角で2点を上げた相方のハッダの方。しかし習慣が合わずに4日で解雇されてしまう。
 レドルー……レドンドがモデル。生まれてついてのピポーテ(ボランチ)で、そこからのゲームメイクは王子様と呼ばれるほど華麗だった。レアル時代にはビックタイトルにも恵まれている。しかしそこから移籍したミランでは全治2年の大怪我を追ってしまう。日韓ワールドカップに出たがっていたが、怪我のために断念という話も伝わっている。
 シモーネ……シメオネがモデル。老獪な戦術をとることから「悪党」という二つ名がある。母国よりもイタリア・スペインでのプレー歴が長く、栄光もアルゼンチンコネクション全盛期のラツィオやインテルでタイトルを獲得している。引退後は地元のクラブの監督の後に各地での監督に就任。一定の成果を残す。現在は自身の監督の中で初のヨーロッパビックタイトルをもたらしたアトレイチコ・マドリードの監督。
 オーフェン……オーウェンがモデル。フランスワールドカップで17歳で代表に選ばれて、アルゼンチン戦でいきなり40メートルドリブルでゴールを決め、その実力を確かなものにする。リバプールでもエースストライカーとして、チームをカップ戦3冠に導くも、持ち前のスピード生かした攻撃スタイルは太ももを痛めて怪我が多くなってしまい戦線離脱を余儀なくされることが増えていく。レアルマドリードでは出場試合数こそ少なかったものの天星の攻撃センスは錆び付いていなかった。しかしレアル後のニューカッスル時代にはチームの降格(ワールドカップで大怪我をおってしまったのもあって活躍ができなかった)を経験してしまう。その後に移籍したのがマンU。しかしここでは満足な活躍が活躍できず、スローイン大砲が戦術になっているストークを現役のラストシーズンに選んだ。

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