Under23
(22年目・世界スポーツカップ奮闘記)
 チームにとっては大きな改編期を迎えた21年目。立浪・森崎の加入。雅哉・ラゴス・ピクシーなどの台頭に、意地を見せる主力とベテランという構図が見えて来ました。その上で今まで支えてきてくれた富士スカウトが定年を迎え引退。さらに三神には引退のカウントダウンが始まり、モルセンと海堂にも引退が近づいて来ました。高杉もベテランと呼ばれる30代に突入。しかし枠を譲るにはまだまだ周辺が鍛えられていないために、しばらくは彼を中心に回っていきそうです。

 そして代表の方はいよいよ本番モードに。とりあえずはU23インターリーグからのスタートですが、今度はドイツとイングランドという強豪チームとぶつかります。とにかくこの闘いを乗り切ることが、大きな目標につながっていきますので、進めて行きたいと思います。

 4回目
 GK 内田・屋村
 DF 池田・伊武・須郷
 MF 名波・伊東・福西・玖珂・ラゴス・立浪・金子・サムソン
 FW 水城・嶋村・上田

 今回は森山を外して立浪を入れました。立浪は成長してそこそこ伸びている部分という意味も含めての初代表です。ただし単なる希望枠でもあるのですが……オーバーエイジに関してはこの段階で岬確定・山土巣・野毛のどちらかを確定・萩原か高杉のどっちかで確定という感じになっています。楢崎を入れてもいいのですが、その前にブリッツと違って戦術はカウンターをとっているので守備力優先ですし。

 ブルガリア ◯3−0 (ストニコフ所属確認・ただし若返っている)
 金子・名波・上田

 デンマーク ◯2−0 (ゴルゲーア・ニストロップ B 所属)
 嶋村・上田

 ウルグアイ ◯3−0 (ケビチャ・フランシスコ 所属)
 金子×2・嶋村

 ドイツ ◯4−0 (カーワン・マティアス・ネットアー、アンカーがスタメン。サブにブラーメン)
 嶋村×3・上田

 イングランド ◯3−1 (チャールズ・シエラ・グリーンズ・バンク 所属)
 嶋村・水城・上田

 全く危なげなく優勝をかっさらってしまいました。玖珂は入ったことで若干危なかった守備力が安定したのが大きいのですが、それ以上に攻撃陣が奮起をしてくれたのが大きいところです。カウンター戦術をとっているので、攻撃力の安定しています。しかもここまで代表関連でのリセット回数はわずかに1。これはどうにかなるだろうと思うが、思い込みからくるミスをここでしてしまう。本番のメンバーを見ていただきたい。

 世界スポーツ大会 正式メンバー
 GK
 内田 一哉 ジュビロ
 屋村 謙太郎 ブリッツ鎌倉

 DF
 伊武 左右吉 京都パープルサンガ
 須郷 卓也 リッチョ河辺
 池田 守 セレッソ大阪

 MF
 玖珂 次郎 ブリッツ鎌倉
 伊東 輝悦 清水エスパレス
 名波 浩 ジュビロ磐田
 福西 崇史 ジュビロ磐田
 ラゴス 武威 ブリッツ鎌倉
 立浪 重則 ブリッツ鎌倉
 甲斐 雅哉 ブリッツ鎌倉
 サムソン 吉田 モンデディオ山形
 金子 伸俊 鹿島アントラーズ

 FW
 嶋村 和典 清水エスパレス
 上田 セレッソ大阪


 エースストライカー水城をここで外してしまうという超凡ミス。(しかもセーブをしてなかった)オーバーエイジがあると思い込んでいたのだが、実際はそういう枠がなかったことをすっかり忘れていたというのが真相で、戦力が大きく低下してしまった感じに。代用はサムソンをセカンドトップに入れるという代案ですぐにできるものの、本番に対して大きな穴ができてしまった。

 スタメンはこんな感じ

      嶋村     上田
         サムソン
    金子         ラゴス
      伊東     名波
      伊武     池田
          玖珂
          内田

 やはりスケールダウンは否めない。中盤は多いので、交代枠には困らないというところが救いか。

 それでも何とかなってしまうのが今のチーム。初戦のホンジュラス戦は4−0の圧勝。明らかにこっちのほうが戦力が上なので、

 続くノルウェー戦 フェロー3兄弟(*2)にクリュー(*3)がいるけれど、クリューだけ。あとはそれほどでもなく。とはいえさすがに苦戦する。終了間際までスコアが動かず、終わってみれば終了間際に金子が決めた1点を守りぬく。これで予選は通過。これで疲れやすいうちだと休ませることができる。

 で、三戦目のイングランド戦のGKは屋村が先発。しかしイングランドは先に戦った時よりも強化していた。ウェールズ国籍でありながら、なぜがイングランド扱いのヒックス(*4)がいて、このヒックスにチームがかき回されることになる。いきなり開始15分で2―0のリードを奪われると尽く反撃の芽を摘まれてしまう、前半終了寸前に1点を返すものの、後半に入ってヒックスが2点にさらに絡む展開に。結果的に4−2で敗戦。しかしこれが唯一の敗戦になる。

 決勝トーナメント一回戦はアモカテ、イカカナ(*5)率いるナイジェリア。カムー(*6)がいればガクブルものだったのだが、今回はいなかった。アフリカ勢は基本的にDFはさほど強くないので、攻撃力のあるこっちとしても助かる相手。結果的に上田とサムソンがゴールをあげて3−0の快勝。

 続く二回戦はスゥエーデン。日本にとっては伝統的に相性の良い相手(*7)だが、今回はかなり苦戦。ラゴスの先制ゴール、名波のフリーキックが炸裂したが、後半に入って一点決められる展開に。最終的には何とか押し切って勝ったが、本番になると冷や汗モノになるんだよなあという感じがする。

 準決勝の相手はザモラ(*8)率いるチリ。撃ち合いになるかも思われたのだが、一方的なゲームに。終わってみればサムソンと金子が2ゴールを上げて5−0の圧勝。決勝戦へ駒を進める。

 そして決勝戦の相手はアルゼンチン。スタメンが恐ろしく凶悪なのは何なんだろうと思おう。DF・GKはさほど強くないとして、バティスタ、モレナ、マルドラド D、ベーレン・さらに控えにクレス(*9)というこれなんていうラスボス状態。これで勝てるのかといえば現実世界だったら0−5も有り得そうなんだけど、ゲームの世界はそうもいかず。前半にベーレンが一発レッドで退場になると、そこからは一進一退の攻防。終わってみれば0−0で、延長でも決着がつかずPK戦へ。シドニーオリンピック以来になる決勝戦PKは、ここでアルゼンチンが?的な事をやらかしてあっさりと終了してしまう。4人めに来たのがGKで、そのGKがPKを外してしまった。一方こっちは5人決めて勝利、見事初の国際大会の超大型タイトルを獲得することに成功した。アンダー23でリセット回数が一回だけというのは、さすがにどうかと思うけど、恐らく勝因は安定した守備力。とくに玖珂が戻ってきてからの守備に関してはほとんど口を出さなくてすんだのが大きい。その代わり攻撃陣は頻繁に入れ替えていたけれど。
 (クラブシーン)富士の勇退によりスカウトは毎月見るようにする。できれば富士の復活がベストなのだが、今の安芸も国内限定であれば悪くはない。ので、ある程度納得できる能力持ちのスカウトが来るまでは安芸で様子見というところだろう。ただし甲斐純哉だけはダメだ。兄の雅哉がいるので特殊連係持ちで加えたいところだが、森崎が加わった今とくにかえる必要性がない。むしろ欲しいのはストライカー。そろそろ年令的に野毛がやばくなりそうだ。去年のキングカズの見逃しはかなり痛いが、成長型を考えるとむしろ仕方ないかという感じも。

 スタメンは以下のとおり。去年の新谷に若干の衰えが合ったのと、ラゴスの育成という側面が合った状態で採用した、ワンボランチを玖珂の留学からの帰還という状態もあり2ボランチに戻す。

     野毛      山土巣
         ルンゲ
    ラゴス         高杉
     玖珂        星野
      萩原      御厨
          岬
         楢崎

 未来予想図は以下のとおり。システムなどには変更がない

     ルンゲ    山土巣
         ピクシー
    甲斐雅       ラゴス
      玖珂    星野(立浪)
      森崎    御厨
         マリウス
         屋村(楢崎)

 とりあえず留学方針は去年マリウスをブレーメンに送ったので、今年はピクシーをポルトへ。ラゴスか雅哉をラゴスに。屋村は来年以降留学が確定。立浪はそれと一年ずらしというところ。その前に森崎を出したい。さらっと書いてはいるけれど、やはりヤウンデがないとキツイわ。ブレーメンでも一応の代用が効くし、何よりもキャプテンを育てるのであればブレーメンの方がいい。

 今シーズンは開幕から守備の闘いを強いられている。開幕戦はダービット(*10)要する大宮に苦戦。安定して勝ってはいるが得点が常に2点どまりという前半戦。神戸戦で3点とったものの、それはVゴールという形でのこと。ただここから一時的にではあるが得点力が大きく上がる。特にセレッソ戦ではポストプレーではわりあい珍しい7−0の圧勝劇。(サントスが4得点)さらにガンバ戦でも5得点と大暴れ。しかし得点力に関してはここまで。そこからの強豪3連戦は負けはしなかったものの、苦戦。磐田戦をスコアレスソロー。リッチョ線はVゴールの1−0、山形戦には2−0で勝ったものの、その直後のカップ戦で逆に0−2で押し切られてしまう(セガール無双に泣かされた上に、リベイロの穴にサムソンが入ったことで減少具合をを抑えられている)

 世界スポーツ大会優勝後のシーズン。完全に追われる立場になったなあと思った瞬間に、いきなり大宮戦で負けてしまうという大波乱。完全にダービット一人にしてやられたという感じが。そしてセカンドステージはこの状態が最後まで続く状態になる。神戸戦に可って6節で首位に立つものの、鹿島戦でロナルドにやられて、さらに終盤を前にしてガンバ戦に引き分けで、2位に転落。しかもここから、磐田・リッチョに連敗をして久しぶりの14節にして優勝を逃すという形に。山形を何とか下したものの、結果的に2位で終了。原因はもうひとつあって御厨のモナコからのオファー留学を受けてしまったこと。これで玖珂を最終ラインに回してしまうことになり、中盤がガタガタに。新谷の退場・ラゴスが思った以上に活躍しないなどいろいろな点で一気に不安が爆発。さらにここに来て野毛の評価点も悪くなってきている。最終節の得点は1人だけ飛び抜けて低い3,0。平均点も6点を切っていてかなり深刻。ヘタすると日本人FWの後継が間に合わないかもしれない。ルンゲも28だし、山土巣も26。ルンゲの代わりはピクシーがいるものの、来年は乱数調整確定。ただ光明があって10月に荒巻勤スカウトが登場。安芸スカウトもカンバって入るけれど、やや数の点で心もとなかったので交代。20年ぐらいは頑張ってくれるはず。
 リーグチャンピョンシップの相手は神戸。初戦のホーム戦で引き分け。2戦目は思い切って中盤の人員入替え+野毛のスタメン落ちえたら、入れ替えたらゴスのゴールもあり2−0で勝利。なんとか危ない橋を渡りつつ優勝を決めた。ニューイヤーカップはガンバ・磐田・リッチョと後半の苦戦したチームが連続して相手となり、ガンバ戦は1−0、磐田戦ではPKの末に下したのだが、リッチョ戦でもPK戦に持ち込まれてしまい5−5から6人目の岬が外してジエンド。相変わらずカップ戦には強くないことを証明してしまった。

 殿堂入り選手が発生。今年は2人。1人は楢崎でこれは条件からも除外。そしてもう一人がモルセン。実はモルセン今年は御厨と玖珂が台頭したおかげで1試合も出ていない試合出場0、評価点0状態。いまいち殿堂入り条件がわかっていないので、どうしてなんだと思ってしまうのだが。

 12月に入りビックニュースが飛び込んでくる。なかなかやって来ないインターナショナルカップ招致に成功してしまう。つまりは来年の本大会の予選免除ということになってしまった。これは初めての機会なので方針を破ってまでも、久しぶりの代表監督を受けるべきなんだろうと思う。幸いにしてメンバーはそこそこ揃っているし。しかし23年目の突入にちょっと問題があって乱数で入替えをした直後、なんと野毛が引退。いくら衰えが始まる年齢とはいえまだ30歳。ただでさえフォワードが出づらい今回のリプレイで、異常事態が発生してしまった。

 (*1)U−23の有力選手の中で紹介していないメンバーの一部をまとめて紹介
 ニストロップB→ブライアン・ラウドルップがモデル。兄は神戸に所属したことがあるミカエル・ラウドルップ。デンマークには欠かせないストライカーだったがクラブシーンでは、所属していたフィオレンティーナが降格するなど、やや実績とは離れたものになってしまった。
 フランシスコ→エンツォ・フランチェスコリがモデル。ウルグアイを代表する選手だが、それ以上に流れるようにボールを扱う彼を尊敬する選手が多くいた。ジダンも息子の名前にエンツォと名前をつけるほどだし、トヨタカップで対戦した時には率先して彼とユニフォーム交換をしているほど。所属していたチームは国内のチームよりもリバー・プレートのほうが長かった。
 アンカー→ヤンカーがモデル。ドイツを代表するストライカーで、レギュラークラスだったのだが、怪我と状況に泣かされたストライカーでもある。オーストリアでキャリアを伸ばし、バイエルンで活躍。しかし日韓ワールドカップではクローゼの台頭により影に隠れる形になり、決勝トーナメントには出場できず。その後怪我との戦いに収支をする形になり、中国にまで移籍をするがそこでも結果が出ず。結局オーストリアのチームで元気を終えてコーチ業に専念するの事になった。
 カーワン→オリバー・カーンがモデル。サッカーゲーム界においては忌まわしき人物の1人。フィジカルの問題からカールスーリエで出番をもらうのに数年要したが徐々に実力を貯めていってバイエルンへ移籍する頃には立派なレギュラークラスだった。しかし代表では彼よりも上といわれるメンバーがレギュラーだったので、実質的な活躍は2002年のワールドカップぐらいしかなかったのが、それでも大きなインパクトを与え最優秀選手の賞を獲得した。実績は十分だがこの手の選手にありがちな私生活の乱れが、クローズアップされたことも。GKの本能ゆえの大人気ない話とその関連のエピソードがある。
 バンク→ゴードン・バンクスがモデル。イングランドの伝説的ゴールキーパーで、イングランドが伝統的なGK王国だった時代の先駆けにいたゴールキーパー。チェスターフィールドを経てレスターへ。そこでカップ戦獲得に貢献。さらにストークに移籍をしてそこでストーク唯一のタイトルになるリーグカップ制覇に貢献。これだけのポテンシャルを持つのならビッククラブにいっても問題がなかったのだが、事故で失明をしてしまい、再起を図るもののパフォーマンスはそこまで戻らなかった。地元のワールドカップで主力、更に次のメキシコワールドカップでも主力として活躍。メキシコワールドカップのブラジル戦で敗れたものそこで伝説のプレーを生み出している。
 
 (*2)ここでいうフェロー三兄弟はトール・アンドレセン・フローヨースティン・フローホーヴァル・フローのこと。正確に言うと兄弟関係なのはトールとヨースティンで、ホーヴァルは従兄弟の関係。で、弟トール・アンドレセン・フローは時代を作ったストライカーの1人。チェルシー時代はその高い打点からゴールを量産。「フロナウド」という異名も持っているが、チェルシーを離れてからはチーム運に恵まれていない。
 (*3)ヨン・カリューがモデル。父は元ガンビア代表のGK。高い身長と身体能力を生かしたプレーが持ち味で早い段階から母国を飛び出したのだが、クラブシーンにはまったく恵まれていない。バレンシア→ローマ→ベシクタジュ→リヨン→アストン・ビラ(ストークへレンタルされたことも)→ウェスト・ハムとチームを渡り歩くものの、まともに活躍できたシーズンが少ない若しくは活躍できたものの、次のシーズンには別な有力選手が入ってきてポジションを奪われるということが続いていた。ウェストハムを離れた今はフリー状態。
 (*4)ライアン・ギグスがモデル。国籍がウェールズ故にイングランドの人からはなんでイングランド出身じゃないんだと嘆かれるほどのドリブラー。イングランドサッカーにおいて偉大なるレジェンドの1人で出場試合数は歴代最多でとったタイトルの数も歴代トップクラスと90年代2000年代のマンチェスーユナイテッドの中心的存在。父はラクビー選手でその影響でマンチェスターに引っ越す。そこでのサッカースクールの初戦で信じられないほどの敗戦を喫する者の、彼の存在感が大きく飛び抜けておりシティのアカデミーとは併用する形でサッカーを進めることになる。オールドトラッフォードの管理人の推薦からファーガソンの目にとまることにもなり、最終的にマンチェスター・ユナイテッドでプロデビューを飾ることになる。
 その活躍からプレミアリーグ創設時においてワンダーボーイと呼ばれるほどの活躍をすることになる。各シーズンでは確実に得点を上げる。その驚異的な活躍からいくつのも例外が認められることになる。ベテランになっても重用な試合には必ず先発に顔を出すなど、クラブの象徴としていた反面、長い間チームにいた代わりに世代交代が遅れた原因という指摘もなされている。代表では当時の大兵基準のせいでイングランド代表になれずウェールズ代表に。16年で試合した試合が64とあまり多くないのだが、これはギグスが辞退したということよりも、ファーガソンたちの意志があったといったほうがいいだろう。ブラジル代表に勝った時には監督のドゥンガから絶賛されている。ロンドンオリンピックではイングランド4つの組織をまとめたグレートブリテン代表(実際はイングランド+ウェールズの代表)としてオーバーエイジ枠で出場。UAE戦でゴールを上げて予選通過に貢献をするものの、決勝トーナメント一回戦で韓国相手にPK戦の末に敗退してしまった。
 (*5)アモカテ→ダニエル・アモカチがモデル。アトランタオリンピックのギリシャ戦のゴールが有名。
 イカカナ→イグペバがモデル。アモカチの翌年にベルギーでプレーする最優秀アフリカ人の賞を受賞する。(その翌年の受賞者は再びアモカチ)
 彼ら二人が中心となったアトランタオリンピックでは予選を日本・ハンガリー(ブラジルには敗れる)を下して2位で決勝トーナメントへ。準々決勝ではメキシコ。準決勝では予選で敗れたブラジルをPK戦の末に破って決勝進出。決勝では最後の最後にアムネケのゴールでアルゼンチンに競り勝ち金メダルを獲得した。
 (*6)ヌワンコ・カヌーがモデル。ナイジェリアを代表するストライカーで高い身長と類まれなるテクニックを駆使し、数々のタイトルを撮ってきた時の中心選手として活躍。地元のクラブでの活躍の後にアヤックスに移籍。その後インテルに移籍をして将来を嘱望される。アトランタオリンピックでは優勝の中心にメンバー。しかしそのアトランタ・オリンピックの後に心臓弁膜症を患ってしまい、超長期の離脱を余儀なくされる。病気を治療して復帰をしたもののインテルでの活躍ができずアーセナルへ移籍。この時にちょっとした問題を引き起こすものの、アーセナルでは6年間活躍。その後ウェストブロムウィッチに移籍をして、さらにポーツマスに移籍。入れ替わりの多いチームの中で6年間在籍をしていた。
 (*7)1936年のベルリンオリンピックでの通称ベルリンの奇跡のこと。当時世界最強クラスとうたわれたスウェーデンに対して、初参加の日本代表が一歩も引かない戦いを繰り広げ対にはスゥエーデンを倒してしまったという話。チーム編成から色々と問題があったのだが、チームはまとまって最終的には後半で逆転をした。この時のスゥエーデンのラジオのアナウンサーの「ヤーパー(日本人)」三連発実況は有名。しかしこのときの遠征で勝ったのは練習試合を含めてこの試合だけで、次のイタリア戦では0対8の完敗を喫している。この試合にでていた選手は戦争で命を失ったりしていたのもいるのだが、戦後日本サッカー界・韓国サッカー界に大きな足跡を残すことになる。
 (*8)サモラーノがモデル。98年ワールドカップ当時世界最高のコンビと呼ばれるサラスとの2トップ「ササコンビ」は強力。フランスワールドカップではベスト16進出に貢献をし、その後のシドニー・オリンピックでは銅メダルに絡む活躍を見せ自身は得点王に輝くなど、まさに世界トップクラスのストライカーであることを証明した。相棒のサラスが更新するまではチリ代表での最多得点も記録している。さらにマドンナをして「抱かれてみたい」と言わしめたことや、ユニセフの親善大使になるほどの人格者だったこと、9番への強いこだわりからインテル時代の背番号1+8のエピソードなど有名。
 (*9)クレスポがモデル。2002の時は違うものの4ではバティスタと共存できないので要注意。なにげに入ったクラブがリーベルだったのだが、ステップアップはしていくものの元々はそれほどスキルのない選手だったとか。しかしパサレラが彼を気に入りトップチームでデビュー。そのシーズンにスーパーサブ扱いながらいきなり13得点を挙げる活躍を見せる。パサレラの退団後は一時期干されかけるのだが、ラモン・ディアスが監督に就任して完全にレビュラーの座をつかむ。アトランタ・オリンピックの活躍もあり、認められて全盛期のパルマに移籍。最初の年は活躍できなかったが次の年はコッパ・イタリアとUEFAカップを獲得に大きく貢献。これが認められてこれまた全盛期を迎えようとしていたラツィオに66億円という移籍金で移籍をする。しかしその後インテルへ移籍をしてそれが相手に失敗に終わってから彼に対する風当たりが強くなる。彼に目をつけたのがよりにもよってアブラモビッチ。高額移籍金で彼を引っこ抜いてしまった。しかしチェルシーのサッカーには合わず、さらにドログバの台頭もあったために、出番が失われていく。それでもミランにレンタルされた時にはチャンピョンズリーグ準優勝に大きく貢献。しかしこれが逆に彼の首を絞めることにもなった。インテルへ長期のレンタル移籍をシタ時には強力2トップの一角として活躍をシタのだが、そのインテルにモウリーニョがやってきてしまい出番を完全に失う。その後はジェノア、古巣パルマに移籍するもベテランになってしまった彼に往年の活躍ができず、2012年11月に引退した。
 (*10)ダービッツがモデル。オランダ出身の中盤の選手で、一時期失明の危機にあったことがあるが、その時につけていたサングラスが一時期彼の代名詞になったことも。育成のアヤックスらしくそこから出てきた世界的選手の中の一人として名前が上がり、驚異的なチーム力を発揮してチャンピョンズリーグとトヨタカップを制覇、さらに次のチャンピョンズリーグも準優勝に貢献。これが認められてミランへ移籍したものの、怪我と彼自身の性格から翌年に放出される。移籍先はユベントス。ここで優勝に貢献をして信頼を得るも、またも彼の性格がチーム内での立場を悪化させる。当時の監督やフロントは、続々とやって来るオファーに首を縦に振らなかったが、代表監督の勧めもありバルサにレンタル移籍。ここでも大きく躍進に貢献。
 その後はインテルに正式に移籍するも、中盤の選手層が暑すぎたインテルでは活躍する機会が少なく、翌年にはトッテナムへ。しかしそのトッテナムも別の選手の台頭で居場所がなくなり、アヤックスへ復帰。だが、プレシーズンマッチで怪我をしてしまい、結果的にクリスタルパレスへ放出される。現在はフットボールリーグ2(イングランド4部リーグ)のチームの監督権選手。能力はありながら自身の性格と運の無さが際立った選手といえる

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