
(27年目)
25・26年目のスーパーカップの予選落ちはまさにチームにとって大きな痛手でした。スーパーカップに予選落ちしてしまうと他の大会に出ることができないのでその分だけ不満がたまりやすくなります。ので、常時萩原型をメインに選手を集めているわけですが、選手の能力を考えると他の連携のメンバーも視野に入れなくてはいけません。
その中で最初の大きな出来事は二人目の神が誕生したこと。何度も神候補と行っている野田がついに神評価になりました。
野田清志
19年目新人で入団→ダカール2年→帰国後レギュラーとサブの往復(どちらかと言えばレギュラーメイン)→27年目のダカールキャンプで「神」
このキャンプでオリビエリも完全になったので未来は多少明るいと思います。
新人はGK佐和。正式な横村の後継としての獲得です。オリビエリとは4つしか違わないという状況ですが、国内リーグで選手を育てたい時には絶対に必要な選手ですので、獲得します。とはいえ喜山とともに国内GK3トップ評価(*1)のこの二人が神に行かないんだからどうなっているんだと言いたい。
この年は獲得する選手をチョイスするために他のチームにだれかいるのかを調べてあります。書いていないチームは表立って強力な補強をしていないという意味です。
注意:(!)の数=危険度
札幌→森崎 20(!!!!)
仙台→武藤 20 光村 23
山形→与那嶺 19 ビルマッツ 18(!!!・*2) オルトナー 19(!!!・*3) ジャンロッサーノ 19
鹿島→多古 28
浦和→R・コバチ 21 木村和司 19(!!) ミシェル 21(!!!!!!)
大宮→辻本(GP) 18 (!!!)
市原→シレオ 21 岬 22 (!!!!)
柏→ 星野 21・立浪 27 (!!!!)
FC東京→宮原 21・塚原 19・柳川 19
東京V→松山 25・牧野 20・舞薗 19
川崎→土井 22・与田 22・鬼 24(!!!!!!)
FM→トンマージ 21・本村 19(!!・*4)
YFC 長嶋 26(!!!)
湘南 藤村 22
新潟 安田 19・片桐 20
清水 松並 20(!!!)
名古屋 足立 19・竹田 20・東 (22・*5)・人見 23
京都 岩城 24(!!!!)
G大阪 佐々木 19・藤田 19・屋野 19・仁志川 22
C大阪 猪貝(おい 20・バティスタ 24(!!!!!!)・ビリヤコフ 19(!!!!!*6)
神戸 フォンフェネハン 27(!!・*7) 米田 21(*4)
広島 喜山 20(!!!)
福岡 都倉 23(!!)・藤崎 23
鳥栖 沖 21(!!)・戸板 20
オイリス 松田・関口・萩原(!!!!!)・釜名・加門・鷹山(!)・山内・今橋・遅野・白石(!!!!)・竹中・白井(!!!)・マクナクマン(!!!)・金丸・青葉(!!!!)・笹川・ラゴス(!!!!)・フレンコ
20年経つとたいていのチームはおかしな補強をしてきますので、これぐらいではうろたえることはありません。変な補強をしているチームはあります(猪貝がセレッソにいて、木村和司が浦和にいるとかが、これぐらいだったらまだなんとかなるでしょうというレベルです。こっちもソレに対抗するために色々とやっているわけなので、簡単に補強精神を批判するわけには行きませんが。
こっちのメンバーも他のチームからすれば結構怖いと思いますし、育成している選手を数人入れても順位を上位にしていますので、他のチームからすれば脅威でしょう。その脅威のチームの数多面はこんなかんじです。根塊は能力評価も書いていますので、それも表記しておきます。
GK オリビエリ(完全)
DF 松本(屈指)・ジャック(完全)・柱谷哲二(屈指)・名良橋(完全)
MF 遠藤保仁(屈指)・新谷(完全)
AMF 須並(屈指)・早坂(屈指)
FW 野田(神)・デルグ(神)
5年後のスタメンはこんなかんじです。
GK 佐和(オリビエリ)
DF 海堂・ジャック・井鼻・名良橋
MF 遠藤・新谷
MF 杉下・森島
FW 中山・野田(カールマンス)
見慣れない選手としてカールマンスという選手がいますが、この選手シルビオが拾ってきたFWでモデル選手(選手辞典の方に書いてあります)は世界的選手の一人であるクーレマンスという選手です。数値的能力から言っても「神」確定選手でしかもユーティーも高い選手。確実にチームをよくしてくれる選手です。
そして完全に忘れたいた事をこの段階でしてしまいます。それは練習場のフルチューンアップ化。完全に海外ユースの条件から抜けおいちていた状態でして、それを思い出しての完全化です。この状態でも時期街になるのがかなり厳しいのですが……
そしてこの章のタイトルになるビッグイヤーの獲得になりますが、その前に大きなイベントとして最高の留学地の一つであるリバプールの加入が正式に決まりました。遠征6回程度の加入とは書いてありますが、倍の12回の対戦という比較的早い段階での加入ですので、定説通りといえば定説通りかもしれません。タイミングがちょっと遅かったですが、これでセンターバックの有力選手にとっては大きな留学地追加になります。あとは留学地の加入イスタンブールぐらいでしょう。
リーグ・国内カップ戦
リーグの方は世代交代の影響もあり店を決められる機会というのが多かったような気がする。4失点がファーストステージでは2回。セカンドステージでも1回あった。そのかわり攻撃力の爆発はいままで以上のものを感じることになる。中には7点もとったという試合もあり、チームが新しい場面に繰り出そうという雰囲気になっている。ファーストステージはデルグの途中離脱はあったものの、優勝。しかしセカンドステージでは後半に負けが入り始め14節の神戸戦で負けたことから首位を陥落。そのままオイリスに追いつくことができずに3位に終わってしまった。リーグチャンピョンシップはそんな状況にもかかわらず、一気に制圧。終わってみれば2試合合計8−1の圧勝劇だった。野田の20点がチーム最高得点というシーズンで他の選手の頑張りが管理目立ったシーズンでもあった。
カップ戦はリーグ・カップでは安定した強さで7戦7勝での優勝。しかしニューイヤーカップでは川崎の攻撃力の前にディフェンスが耐え切れず敗退。いつものような結果になってしまった。今シーズンで森岡と増永が引退を表明。ともに時代を支えた選手だけに、彼らの引退は新時代の幕開けにつながった。
スーパーカップ
実はこの年の予選は勝ち抜ける気がしなかった。リバー・プレートはいいとしても負けるときには派手に負けることの多いリバプール、そして地味に負けていることの多いモナコと同居する形になっていたためである。しかし蓋を開けてみれば引き分けがひとつあるものの全部の試合で勝ち点を稼ぐという異例の事態に。勝ち点16という状況で決勝進出を決めた。しかも後半の予選サン試合は11得点1失点。ダメダメと言われながらもこの活躍には誰もが目を疑った。後半の決勝トーナメントは前半とは違って青色吐息状態の戦いを繰り広げることに鳴る。最初のレアルマドリード戦は前半でできたリードを守りぬいて勝利。次のバイエルン戦は最後の最後になって野田の連続ゴールで逆転で準決勝で。次のリバプール戦では、野田がここでも大爆発。ハットトリックを決めて決勝戦へ進出。そして最後の相手はロンドンことアーセナル。こういう大きな戦いでは本気モードになると強いチームなのだが、勢いは完全に上だった。先制をされるものの、名良橋のゴールで同点。さらに野田で逆転をして、後半に入ってもデルグが得点を決めて3−1で逃げ切り、見事初のビッグイヤーを獲得。世界的クラブの一員になった。
これでビッグイヤーを制したことにより大目標の一つはクリアーです。残りは選手名鑑・神選手架空残り一人。選手名鑑あと一ページ・海外ユースと有力選手の4つになりました。いずれのケースも時間が立たないといけないと思いますので気長に待ちたいと思います。
目標達成状況
スーパーカップ→27年目に初優勝
神選手→架空選手だとあとひ1人、Jリーガーだとあと二人
ユース施設→建設許可降り待ち
有力選手ユース入団→まだ
選手名鑑2ページ→1ページ完成
ビックスポンサー→イーガーグループ・連旗ができた
(*1)***通の攻略本評価では、喜山→龍将→佐和→屋村→三神の順。このうち神か報告があるのは屋村と三神。普通に考えれば評価の高い二人が確実に神になってもいいんだけど、何度育てても屈指どまり。リバプールがあれば喜山は行きそうなんだけど。
(*2)ヴィルモッツがモデル。ワールドカップで日本と対戦した時にオーバーヘッドキックを決めて度肝をぬかされたのだが、ブラジル戦で世紀の大誤審の主人公にもなってしまった。決勝ラウンドのブラジル戦で彼の放ったゴールはネットを揺らしたのだが判定はノーゴル。明らかな誤審だったことを審判も認めている。対戦をした森岡曰く「ベルギーの選手の中で次元が違う動きをしていた」。彼の引退の後ベルギー代表は大停滞の時期を迎えるのだが、2012年に代表監督に就任。若手の発掘がうまくいき復活の可能性を感じさせている。
(*3)アリエル・オルテガがモデル。若くして天才の名を欲しいままにしたドリブラー。アメリカワールドカップにも選ばれ前途洋洋でバレンシアに移籍も練習嫌いのために監督と衝突をしてレギュラーを外されると、そこから彼のサッカー人生がおかしくなる。フランスワールドカップではシュミレーションをやってしまいその講義に来たファンデルサールに頭突きをして退場。ベルカンプのスーパーゴールのおかげもありアルゼンチンは準々決勝で敗退をし、その大戦犯になってしまった。チームもその頃には点々をしだし、フェネルバフチェでは無断帰国。これがきっかけになって長期の出場停止になってしまう。その後は国内リーグで活躍をしている。
(*4)名鑑のページが埋まらない最大の理由その1。米田がその2。この段階で完成のために取らなくてはいけないのは3人。その内の一人。基本的に取るタイミングを間違えると永遠に合わないということも……ちなみにモデル選手は浦和に所属。ミスターマリノスどこへ行く。チャールズは出てくればこの当時はすぐに獲得できたんだけど、結局出てこずにも見送り。
(*5)スカウトの東の関係者ではない……はず。2002でも存在を確認しているので。
(*6)オリバー・ビアホフがモデル。遅咲きのストライカーで高さを生かしたヘディングシュートが得意。ドイツ代表の栄光の終焉期から、そこから続く低迷期のストライカーでドイツでデビューしたものの出る試合数が少なくオーストリアを経由してイタリアへ。その2年目からセリエBを三年間体験するもの、そこからウディネーゼへ移籍してから才能が開花。ウディネーゼ時代に得点を王を獲得してミランへ。そこでチームのスクデット獲得に貢献。ドイツ代表でも活躍をして70試合で37点を上げている。ミランでの4年間のあとはモナコへ移籍するものの、そのよく年にはキエーボに移籍をして引退。大舞台での攻撃力には光るものがあり、彼の名を世に知ら攻めたのもユーロ96の決勝ゴールだった。
(*7)ファネンブルグがモデル。アヤックス育ちだったもののクライフとはそりが合わずにPSVに移籍。しかしこの前に3度のリーグ優勝に貢献したことを考えると、置き土産は相当だったと思う。そこでも5度のリーグ優勝とチャンピョンズリーグ優勝に貢献。代表でもユーロ優勝に貢献したものの、ワールドカップではレギュラーを外されてしまった。その後磐田の選手として来日。超ビックネームのドゥンガがいたせいで目立たなかったが藤田俊哉を見出す。なれないリベロ(本来のポジションはゲームメイカー)のポジションをこなしたことから、プレーの幅を広げるのだが靭帯の損傷をしたことで出番をなくしてしまい退団。そのまま故郷に戻りさらにフランス→ドイツと渡り歩く。影ではあるが磐田にとって欠かすことのできなかった選手の1人。
28年目から30年目「youth」に続きます 前のページに戻ります トップページに戻ります