3年目+4の倍数の都市でなければ意基本的に7月は世界的大会が開催されるためオフシーズン扱いになります。4の倍数とそれに1を足した年には、オリンピックサッカーのようなワールドスポーツカップ(U−23扱い)とその予選が、4の倍数+2の年と3の年はワールドカップよろしくインターナショナルカップが開催されるために、オフシーズンというのが存在してしまいます。
実際のサッカーだとこの時期にキャンプに行ったりカップ戦が開かれたりしています。最近の傾向的に言えばオリンピックがヨーロッパの各クラブに軽視されてきているので、でたいと思っている南米の選手と軋轢が生まれてしまう傾向が強くなっています。さらにメッシ(*1)の問題(*2)もありオリンピックサッカーの価値はだんだん低くなってきているのが現状です。しかも今の状況がまかり通ると今度はワールドカップ本戦にまで影響が及ぶのが必至で、南米とヨーロッパ(特に強豪クラブ)との考え方の相違がある上に選手のコンディション問題を無視して海外ツアー(*3)をやってしまうクラブも結構多いので、軋轢が軋轢を呼んでしまうなんてことがよく起こります。実際アジアツアーをやったクラブがシーズンでは丁重なパフォーマンスに終始して下位に低迷なんてことがよくありますし。
で、サカつく04の正解ではこの世界で何が出来るのかというと、1月にやるべきことと変わりません。キャンプ・プレシーズンマッチ・友好のための海外遠征の3つです。ただし代表に抜かれてしまう選手がいると選手層は薄くなって(*4)しまいます。このため海外遠征に出て行って、代表に選手を抜かれて思わぬ形での大敗を余儀なくされることもあります。どれにするかは自分のチームの状態を見ながらやるというのがベストになると思います。前作に至っては序盤で役に立つ選手がアジアの選手だった故に、その国の代表に呼ばれてさらにチーム力低下なんて自体もありますし。
ヴェールの場合はチームパフォーマンスが低調(この段階で9位)なだけに、代表で呼ばれる選手は誰一人いませんでした。しかしそのままチーム力を上げないわけにはいかないので、再び阿蘇へキャンプに向かわせることにしました。今回もフィジカル+フィジカルという組み合わせにしています。フィジカルを一回にして連携にしたかったのですが、やはりスタミナ切れを防止しなければいけませんので、この組み合わせにします。このキャンプの結果ロビアーノの能力コメントが「充分」から「世界へ十分」にアップしました。これで守備力にさらなる安定感が出てきたと思います。
能力コメントの話が出てきたので、ここで説明をしてしまいと思います。選手に△ボタンを遭わせると選手のステータス画面が出てきます。この下に2行の説明文があります。下の段はどの成長型を表しているかという分(ここでピークとか衰えているとかで選手がどの成長型かを判断することが出来る)上の段は選手が今の段階でどれぐらいの能力を持っているのかという判断になっています。トータルで見ていっているので特化型の選手とかの能力が上がらないなどの盲点はありますが、成長の一つの指針としてのコメントとして考えることが出来ます。
コメントは以下の通りですが、一般のレベル〜から下のレベルは基本的にあまり見ることがありません。(太字の部分が一般的に能力を表す言葉になります。ただし先の理由による一般以下のケースでは使われることはないと思います)下に行けば行くほど能力が上がっています。
能力的にまだまだ足りない点が多い
↓
あと一歩足りない印象を受ける
↓
一般レベルの能力がある
↓
充分実力をつけてきている
↓
世界で十分通用する力を持っている
↓
世界レベルで完全に戦える実力
↓
世界屈指の能力を持っている
↓
もはや神の領域に到達している
*神選手が育成できたときはその瞬間に報告する予定です。そのときの形式は以下の通りになります。(引き合いに出した選手は過去に実際に育成をした選手です)
杉下竜次(*4) 13年目 19歳 オイリスから獲得 ダカール2年のあとにSMFにコンバート→能力爆発1回→以後スタメン、21年目5月グランパス戦で神確認。
以後神選手が誕生したときは以上の通りに書きます。
ロビアーノが成長した故に変わった台詞は神から数えて4番目の十分に当たります。十分では世界レベルから言えば戦力になりませんが、このレベルで言えばかなりの戦力に当たります。他のメンバーが十分よりも下のレベルですので、引っ張る人間がいないといけません。そういう意味での彼の成長は大きいと思います。
試合をやらないことによる試合間の劣化を避けたいのでプレシーズンマッチを4試合組んでいます。7月はこれにキャンプの試合があるので5試合試合をやることになります。レギュラー以外のメンバーもまんべんなく出していれば(試合自体は流している)試合間の低下は防げるはずです。ただしゲームプランを監督に任せている関係上その可能性は皆無に等しいですが。
で、その7月の結果は
対戦相手 |
結果 |
陽和大学(キャンプ) |
○4−0 |
コンサドーレ札幌 |
○2−0 |
大分トリニータ |
△0−0 |
ヴァンフォーレ甲府 |
●1−2 |
ザスパ草津 |
○3−0 |
成績が安定して多少希望がもてる感じになったところで次回に続きます。
(*1)メッシ……2008年現在、話題の選手の一人でおそらくこのまま成長していけば世界最高レベルの選手の一人に確実になれると言われている選手。父親がコーチをするクラブに最初は所属をしてたぐいまれなる才能を見せるが、11歳の時に成長ホルモンの異常によりリバープレートが獲得に二の足を踏み選手としての才能が閉じられかける。しかし13歳のときに受けたバルセロナのテストで当時の監督が惚れ込んだことから、家族とともにスペインへ移住(バルセロナ入団)。治療費を含めすべてバルセロナが持ったのだから、相当の素質を見抜いていたことになる。
バルセロナ入団以後は懸案だった身長の低さも一応は解決し(それでもサッカー選手とすれば低い169センチ)、さらには才能を開花させていく。17歳でバルセロナBでプロデビュー。その後は怪我との戦いに苦しみながらも順調にステップアップ。代表ではデビュー戦こそひじ鉄で退場(出場時間40秒)したが、代表の主力にまで成長。将来を期待させる選手ではある。
しかし怪我が多い選手でもある。背の低さから来るフィジカルに関しては全く問題がないのだが、時には強引な突破を要するそのプレースタイルは大きな怪我を誘ってしまうこともしばしば。シーズン通してちゃんとフルで活躍した機会は少なく、大事なところで怪我をしてしまうこともしばしば。プレースタイルに幅を持たせないと、選手生命に影響がでてしまうのはないかとまで言われるようになる。
(*2)バルセロナ……世界で有名なクラブの一つ。ライバルであるレアルマドリードとはクラブ間だけではなく政治的にも因縁が渦巻いていることが有名で、この2チームの対戦時には毎回きな臭さが流れている。興味がある人は「フランコ」「レアルマドリード」「カタルーニャ」「エルクラシコ」などの言葉でくぐってしらべてみるといい。とにかくそれぐらい複雑な事情が絡み合っている。
それ故にバルサの経営形態は特殊。ソシオと呼ばれる会員から会費を徴収することで、スポンサーを取らず、ユニフォームにスポンサー名が入らないことでも有名。北京オリンピック組織委員会が入れようと交渉したが結局は立ち消えになっている。しかし06−07シーズンからユニセフと契約をしてユニフォームにスポンサー名が入ることに。ちなみにサッカー以外にもバスケチームなども所有する総合スポーツクラブ(日本で言えば野球・バスケのチームを持っているアルビレックス新潟がこれに該当)でもある。
クラブは1899年に設立。リーガエスパニョーラ初代チャンピョンでリーグ優勝回数は18回。これは最初の優勝から次の優勝の期間が長かったことと、90年代の大不振に陥る暗黒時代の影響があったから。しかしライカールドを監督に迎えてから2年連続優勝に、2回目のチャンピョンズリーグ優勝と黄金時代を迎えると思われる時代を築き上げる。しかし長くは続かず、今シーズンに入りチームは改造の真っ最中。監督もグアルディオラに交代。ロナウジーニョなどの主力選手を放出して、メッシを中心としたチームを作ろうと模索中。
ところが今のバルセロナを取り巻く状況は良くはない。監督交代による混乱こそ無かった物の、各選手対しての移籍交渉問題はかなりの期間のを引っ張ることになる。さらには現会長ラポルタの資質的問題(08−09シーズンを前にして当時の幹部9人が辞任とかとにかくトラブルが多く、)や、様々なところでのイメージ悪化の問題もあり、きな臭い雰囲気が流れ出している。
(*3)海外ツアー……2002年の日韓ワールドカップ以後、各クラブが続々と世界各地へツアーという名の親善試合を行っている。しかし基本的には(ツアーしているサイドの)選手目当てで来る観客が多いのが実情で、試合内容はあまり見る物がないのが実情だし、試合をする方も怪我の可能性もあり実力を抑えるケースがあるため実力通りに結果が行かないのも現状。さらに海外ツアーを行うと言うことは基本的な部分での爪がしづらくなる上に、選手のコンディションにも影響を与えてしまう。それゆえにシーズンインしてから本来のパフォーマンスがでなくなるという状況が生まれ、選手にとっては大不評。
(*4)杉下竜次……モデルは日本が誇る左ウイング杉山隆一氏。学生時代に東京オリンピックに出場し日本をベスト8に導く。そのご就職浪人を経て三菱自工に入団。躍進の立役者に。その後のメキシコオリンピックでの釜本とのコンビによって銅メダルに導く原動力になる。しかし活躍期間が怪我のために短かった。引退後は地元静岡のヤマハの監督に就任。ここでも躍進の原動力になり、今のジュビロ磐田の基礎を作り上げる。現在はそのジュビロのスーパーバイザーであり静岡県のサッカー協会の副会長でもある。低迷期・成長期を含めた日本サッカー界をを引っ張り続けた人物あることには間違いはない。
次回1年目その7「後半戦」に続きます
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