ベトナム戦争
(第1章終盤・第2章ライム戦役付近奨励)
 地域の小さな争いから、大きな出来事になってさらには隣国や大国の介入を招き続けてしまい、最終的には大きな禍根を残しまくった戦争にベトナム戦争があります。昔から中国の政治的影響を浴び続けてきた国でしたが、植民地時代になるとフランスの占領下に。さらには共産主義と民主主義ががっちりぶつかり合ったような状況での戦争の展開。それを伝える写真の力と、世界中に吹き荒れる県選ムード。アメリカ国内ではホワイトカラー(頭脳労働者)とブルーカラー(肉体労働者)の対立が表面化し、さらには大統領暗殺に絡むきな臭い話まで出てきています。結果はベトナム戦争以後もカンボジアの独裁者の存在で戦火は収まらず。当状況になってしまいました。
 第2次世界大戦後、世界各地が混乱の中にありました。民族独立の気運が高まりだし、それまでの支配される側とする側の間で小競り合いが多くなってきました。さらには民族自立という名のもとでイスラエルが建国され、中東に緊張が走り出しました。中国では共産党勢力が国民党勢力を駆逐、朝鮮半島では北朝鮮が建国され、その連中が侵入したことによる朝鮮戦争が勃発。厭戦ムードが吹き飛ぶ事態になりました。その後アフリカ各地では植民地が続々と独立。しかしそれと同時に政府と反政府の勢力がぶつかり合うという状況になってきました。さらには西側諸国(アメリカ・西ヨーロッパ・日本など)と東側諸国(旧ソ連・中国・東ヨーロッパ)などが対立が表面化。人類をなんども滅亡させるほどの核ミサイルをお互いの方向に向け続けるという冷戦の勃発もありました。
 そんなさなかベトナムも位置的に言えばかなり微妙な書になりました。東南アジアのインドシナ半島にあるこの国は中国とフランスの影響が多く混ざり合っていました。そのうえ第2次世界大戦の間は日本の占領下にもありましたので、いろいろな思想が織り交ざっていました。そんな中に台頭してきたのがホー・チ・ミンです。彼は日本の傀儡政権を排除した後に、ベトナム民主共和国を設立。その初代国家主席の座につきました。
 しかし元の宗主国であるフランスはそれを認めずに、傀儡政権でトップの座にありなら、引き摺り下ろされたバオダイを担ぎ出し、ベトナムを攻撃。しかしフランス軍を打ち破る形で、ベトナム軍は独立を確保するのですが、その時に国が南北に分裂してしまいます。ホー・チ・ミンが立てた国を北ベトナムといいソ連と中国が支援。南ベトナムはアメリカが傀儡先見を作る形で支援します。この状態が6年ほど続きます。
 状況が変わったのは南ベトナム解放民族戦線が1960年に作られたときからになります。おそらくはベトナムは社会主義に直交させようとしてホー・チ・ミンたちが密かに動いて作った組織だと思いますが、この組織が南ベトナムに深く入り込むことになります。(これが別な問題を引き起こす原因にもなる)もっとも北ベトナム軍が勝利した背景には主導系争いで南ベトナム内部で崩壊がなんども起きたことと、それにより兵士の指揮が全く上がらなかったことが大きな原因だとされていますが。
 一方アメリカではケネディが大統領につきます。ケネディは世界の紛争に立ち入らないスタイルを取る関係でベトナムからも兵を引き上げようとします。この段階で兵を引き上げれば北ベトナムの圧勝でアメリカとベトナムの縁は切れ続けるという結果になったかもしれませんが、ケネディの暗殺でこの状況が大きく変わります。次の大統領に就任をしたジョンソンがベトナムに介入を開始します。ちょうどベトナムでも大統領が暗殺され、次の大統領の時にクーデターが起きていました。(翌年に追い出されることになるが)その年の夏に本格的にベトナムに介入する(もっとも先に手を出したのは北ベトナム)ことになります。
 しかし第2次世界大戦・朝鮮戦争などで疲弊をしていたアメリカの学生たちはこの戦争そのものに反対をすることになります。いわゆる反戦デモの横行で、公民権運動と結びつき全米各地で大きな問題になってきます。これに対抗するように支援デモというのが起こることになる(結果ホワイトカラーとブルーカラーの対立が表面化するものの、デモ自体は沈静化)のですが、戦争推進派だったジョンソン時代では基本的に止めることもせずそのままにしていましたので、厭戦ムードからヒッピーという退廃的な文化が生まれることになります。
 それでもジョンソンは戦争に邁進していきます。55万(北ベトナム軍の兵士総数よりも多い)の兵士を投入。さらには「北爆」と称する大規模な爆撃ナパーム弾、焦土作戦、枯葉剤、ベトコンがりなど、ありとあらゆる手段を投じて北ベトナム軍に攻撃を加えます。しかしそれはあまり効果が挙げられずかえって難民が増える結果になりました。それまでの戦争の常識を大きく変えた写真や映像の紹介により悲惨な状況が世界中に伝えられたこともあり、どんどん厭戦ムードが持ち上がってきます。これにはホー・チ・ミンが西側のマスゴミと市民団体を煽ったというのもありますが。
 もちろん社会主義国家も見ているだけではありません、北伐に対して陰ながら支援を敢行しています。ただそれが表面化することがあまり無かったので、どうも上場は地域戦争とみられがちになるのですが、冷戦の代理戦争という状況でもありました。さらに下手するとインドシナの地で朝鮮戦争再開なんて事態もあったわけで(北朝鮮が軍を派遣していた)、危ない橋を渡り続けたような戦争になってしまいました。もし何らかの形で表面化した場合は世界中から非難を受けるわけで、そうなったときにキューバ危機が最悪の方向に転がるという可能性があったわけです。
 冷戦の代理戦闘なったベトナム戦争ですが、ある出来事きっかけにアメリカの正義というものが大き揺らめくことになります。もともとベトナム戦争自体がすでに南ベトナム解放軍によって国土をかなり抑えられた状態でのスタートだったわけで、苦戦は予想されていました。ソレでも大きな都市を抑えていたためアメリカ軍はなんとか前線を保っていたのですが、テト(正月)攻勢によりアメリカの大使館が一時占拠される事態に。なんとか取り戻したものの、これでアメリカにはベトナムでの勝利はないと確信させることになりました。これがきっかけになってアメリカ軍は撤退するのですが、それまでに払った犠牲を考えるととんでもない大損をしたということになります。
 ついでに言えば世界的な衝撃映像となった南ベトナムの警察長官によるベトコン(北ベトナム兵士)の頭に銃弾を浴びせて射殺されるシーンがありましたが、同じ事を南ベトナム解放戦線がやっているわけで、本来であれば双方非難されることです。しかしやった人間がかなり地位が高かったことと、映像が洒落にならなかったこともあり、結果的にこれがアメリカには正義がないと認知させられてしまっているわけです。最もこの戦いのおかげで南ベトナム解放戦線=北ベトナム軍と同じに認知させられてしまってはいますが。
 アメリカ軍のいなくなった南ベトナムには、もはや戦争をするだけの力はありませんでした。北ベトナムは大攻勢を開始して、南ベトナムを占拠。サイゴンも1ヶ月で陥落をして、ベトナム戦争は北ベトナムというよりかは社会主義・軍国主義勢力の勝利に終わりました。サイゴンはホーチミンに改名。北ベトナムは信頼と100万を越える犠牲、経済発展の大幅な衰退というのをと引換に、社会主義国家として統一されることになりました。
 しかしこの中にはホー・チ・ミンの姿はありませんでした。サイゴン陥落の数年前にはすでにこの世の人ではなくなっていて、結束を固めるための手段の一つという形になってしまいました。本人が健在であれば戦争後のベトナムの暴走はあったのかという、事にもつながっていきますがIFの世界ですので、そこまでは考えがないようにします。もっともホー・チ・ミンが「北爆」の段階で西側のマスコミをうまく利用したのは、今になったも大きく生き続けることになるのですが……
 ただホー・チ・ミンは生前、共産系主義者にはありがちな汚職バンザイ的な人ではなく、清廉に近いとされている人でしたが、やはり死後にそのスタイルをそのまま利用される形にはなってしまっています。さらに本人の意志とは無視されて、その姿をさらされる(レーニン廟のような感じ)ことになり、そのあたりはベトナムというよりかは社会主義や共産主義の矛盾というのを感じることが出来ます。
 しかし勝った北ベトナムも好調のピークがどこまでかといえばサイゴン陥落の直後とまでとしか言えません。というのもこの後カンボジアに侵攻をして国内を疲弊させただけではなく、さらに中国(影響力を露骨に南ベトナム解放戦線に出してきた→南軽視の原因の一つ)と戦争を開始したことで国際的に孤立。一気に最貧国クラスへの仲間入りという自体になってしまいます。また中国への影響が見られ出してきたことから南ベトナム解放戦線を吸収するのはいいとしても、その見返りが極端になかったことから不平を招いてしまいます。結果的に経済的な要素でチャイナリスクの回避手段として注目されるまでは、爪弾き敵存在になってしまいます。
 さらにベトナムには多くの問題が残されています。例えば南ベトナム解放民族戦線が残した問題。テト攻勢で勝った後に大規模な虐殺事件とされるフエ事件を引き起こしていて「勝てば官軍」という言葉が通じないというのを露実にさせてしまったものがありました。未だに南北間の問題というのは大きく横たわってきて南ベトナムの人が、未だに南ベトナム解放民族戦線の人間だと言えない人(言えば裏切り者扱いで袋叩きに会うことは確定的だから→テト攻勢で関係の無い人間まで殺したことも原因)が多数います。それに未だに国内では南ベトナムの人間が北ベトナム出身の人間を恨むという言が多いようですし、もっといえば軍が引き起こしたことに対する謝罪も未だにしていないというのが実情です。もっともこれは政治のスタイルが変わってしまったカンボジアと比較すると、謝ることをしたら体制崩壊の引き金になると思われる感じですが。
 ベトナム戦争とはそれまでの戦争の常識を大きく変えるものになり、またそれによる民族同士の分断を潜在化させ、それが終結後35年(2011年現在)経過した今でも大きなしこりとして残っているわけで、いつまた爆発するかわからない状態です。救いといえば経済発展の影響で戦争の影が表面上では薄れていること。ただし本質的な部分である軍事政権が幅を聞かせている以上は、それすらも怪しくなる場面もあります。また戦争中にアメリカ軍がやったこと、ベトナム軍がやったこと、韓国軍がやらかしたこと、それ以外の国の問題なども表面化してきています。爪あとは世代が変わっても続くと思われます。

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